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寄付に関するNのこと
ビル・ゲイツが公衆衛生の問題に取り組んでいることは有名だが、その財団の寄付額が大きすぎて一部から批判されているらしい。寄付しすぎて怒られるというのが不思議で面白い。自分の利益ばかり追求しているとかじゃなくて、寄付しても怒られるのか。批判のポイントとしては寄付額が大きすぎて、彼が寄付した分野の問題が優先的に解決されてしまう。選挙で選ばれたわけでもないのに影響を与えすぎだ、ということらしい。ニュースの中でそれは「選挙で選ばれたわけでもない億万長者が世界のアジェンダを決めている」と表現されていて、まったく本筋ではないけど世界のアジェンダって表現かっこいいな、などと思いました。
日本では寄付文化が薄いと言われていて、これは昔寄付金詐欺が横行した影響らしい。余計な爪痕が残ってしまっている。雰囲気的にも寄付は善?偽善?みたいなのを誰かから問われる気が自分はしてしまい、「やらない善よりやる偽善」とかキャッチコピーでわざわざ寄付を正当化しないといけない。もっとシンプルにやりたいからやるで良いのに。
俳優の杉良太郎さんがしていたボランティア活動について記者から売名行為かと聞かれたとき、「偽善で売名だよ。みんなももっとして、名前を売ったらいいですよ」と答えたという話を思い出す。モヤる質問を一刀両断、という感じで気持ち良い。いま調べたら「お金がない人は時間を寄付すればいい。お金も時間もない人は、実際に活動している人に拍手を送るだけで十分」という発言もされており、これも素敵。自分にできる範囲のことをやれば良い。
最近ではクラウドファンディングに参加する人が増えたり、寄付的な活動が身近になっている気がする。投げ銭とか、広いくくりでは推し活とかもそうか。困ってる人を助ける、応援したい人を応援する、そういうのがインターネットの力もあいまってやりやすくなっている。自分もごく少額ながら寄付のサブスクをやっているが、それは自分が困っている時に助けてもらえたらうれしいから、という表現が近い。自己責任に集約するのではなく、お互いが(できる範囲で)助け合える社会になると良いですね。