Feedback Loop
共感と距離感
誰かの話を聞いているとき、できるだけそれに共感するような姿勢になる。自分の知識を探ったり、過去の経験と照らし合わせてみたり。「自分だったらどう思うか」「自分だったらどう行動するか」を考えながら、相槌を打ったり質問をしたりする。人の話をちゃんと聞く、という意味でこれは悪いことではないが、この共感の姿勢には限界がある。人によって価値観は様々であり、どうしてもイメージしきれない話もあるからだ。
例えば戦争に行った人の話に自分が本当の意味で共感することはできない。その話題を抽象化して、自分の中の似た経験を引っ張り出してくることはできるが、それは相手の話を矮小化してしまって逆に失礼な気もする。こんな時できるのはただ聞くことで、自分は関係なく相手がその事象についてどう思っているのか、どこに悩みがあるのかを質問する形で会話することしかできない。共感と距離感のバランスを上達したい。
そんなことを思っていると「共感と距離感の練習」という本を本屋で見つけた。まさしく読みたかったタイトルで即購入したが、そのものズバリの回答が書かれているわけではなかった。著者の小沼さんが日常で感じた心情の変化を綴るエッセイで、その中で他者に寄り添ったり自分の感覚を大事にしたりする。その揺れ動きを積み重ねることが練習になる。「ここは共感、ここは距離感」といった明確な線引きはなく、常に考えていくことでしか上達の道はないのかもしれない。
仕事でユーザーインタビューをする機会があったが、インタビューの作法として「相手になりきる」というのがある。Webサービスの使い方について順に聞くのではなく、相手の仕事について教えてもらい、その中で自社のサービスがどう登場するのかをヒアリングする。それを脳内で追体験していくと細かい不明点が出てくる。その作業は週に何回やるかとか、困ったら誰に相談するかとか。そういうポイントをさらに聞く。それを繰り返していくと相手の仕事への解像度があがっていく。誰もが何かの専門家で、その人の仕事はその人自身が一番よく知っている。それを教えてもらう感覚で質問を繰り返す。
このインタビューも「共感」だが、最初に書いた共感とは少し違う。英語の似た言葉として「シンパシー」と「エンパシー」があり、どちらも日本語では共感と訳される。シンパシーは自分と同じ経験や立場の人に自分を重ねること。エンパシーは相手に憑依して相手視点だとどう見えるか考えること。似てるようでかなり違う。相手の話をしっかり聞きつつ、自分の経験に照らし合わせすぎないこと。自分がやりたいのはエンパシー力を高めることかもしれない。