多様性と資本主義のあいだ
多様性。人の考えや性質はみな違い、それを性別や国籍で一括りにすることはできない。多様な価値観がありそれを尊重すべき。この考えを否定する人はほとんどいないだろう。
私たちは資本主義で生きている。資本主義というゲームで勝つには多くのものを多くの人に届けて儲けないといけない。そうなると対象はマスになり、自然とマイノリティへの配慮は少なくなる。わかりやすい伝統的な価値観のマジョリティにマーケティングする方が刺さる確率はあがる。ここに多様性と資本主義の相性の悪さがある。
可能性を感じる部分としては顧客も多様化していること。リビングで家族全員がテレビを観ていた時代からYouTubeで個々の好きな動画を見る時代に。一つの大きな円ではなく小さなたくさんの円でマスが表現されるようになり、そこに届けるには作り手も多様な価値観を理解している必要がある。人間が一人で理解できる範囲には限界がある。多様な感性を持つ複数人でチームを作ることで、より精度の高い多くの人に響くものをつくれる。
人材登用という観点だと、必要とする仕事ができる人ならあとは何でも良いですよ、というのが良い会社の姿勢か。良い仕事をするにはコミュニケーションは不可欠だが、それは飲み会でプライベートを赤裸々に語ることとイコールではない。相手が欲しそうな情報をオープンにして置く、必要なタイミングで話し合って前進できるならコミュニケーションとしては十分である。それだと冷たすぎる?仕事という共通の目標があればそれだけで熱くなれる。プライベートな話もできるくらい仲良くなりたい?それは個人的に誘ってみれば良い。相手も同じように考えてくれていれば距離は徐々に近づく。飲みに行くこと自体が悪なわけではない。
男性の方が力が強いという傾向はある。しかしすべての男性が必ず力が強いわけではない。個人差は常に性差を超える。属性は理解するきっかけにはなるが個人そのものではない。