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エンジニアの日記帳。ものづくり、プログラミング、読書などについて書いてます。

「通知表をやめた。」を読んだ

2024/12/07

通知表をやめた。: 茅ヶ崎市立香川小学校の1000日」を読んだ。神奈川にある小学校で通知表の意義を考え、やめるに至った経緯と現状の変化をまとめた本。この小学校の近くの友人宅に最近遊びに行ったので縁を感じて購入。教育や評価は関心のある分野なのでとても面白かった。

まず通知表をやめるといっても評価をやめるわけではない。子供の学習に対する評価そのものはしっかり行う。通知表は学期末に学生や親に向けて発行するもので、その発行をやめたという話。小学生の頃は生まれた月などにより成長に個人差がある。普段からそれは気にしなくていいんだよと声をかけていても、通知表でスコアをつけてしまうと矛盾したメッセージを届けてしまう。そういったモヤモヤから出発し、本当に必要なものは何かを考えた結果通知表の廃止が決断される。学校教育というと堅くて動きが遅いイメージがあったが、この本に記録された議論を見ると普段の自分たちの仕事と何ら変わりないように思える(むしろ進んでいる)。本質を見つめて改善に取り組む仕事を尊敬する。

面白かったのはテストで点数をつけるのをやめたという話で、内部的には点数はつけるが学生に返す回答用紙には記載しない。点数があると子供たちはそこに注目してしまい、他の子と比べる材料にしてしまう。点数を書かないことでどこを正解してどこを間違えたのか、純粋にその正誤だけにフォーカスが当たる。思えば「この問題は5点」「この問題は10点」といった配点に何の根拠もない。それは100点満点にするための工夫であり、できなかった問題に向き合うのとは別のベクトルだ。

運動会では対抗で順位を競うのではなく、練習の時の自分たちのタイムを超えられるかどうかに挑戦する。6位でゴールしてもタイムが発表されるまでドキドキして待つ。得手不得手を比べるのではなく昨日の自分よりうまくできたかを測る。オリンピック選手のような競技スポーツの世界に身を投じる人はごく一部で、大半は健康や娯楽を目的に運動と向き合う。そう考えると「昨日の自分より」の発想は本質に近い感じがする。

前例のないトライに反対意見も多く寄せられたそうで、その一つが「中学や高校にあがると結局成績で比べられる。早い段階からそれに慣れておくべきではないか?」というもの。確かに学生の受験でも社会人の業績でも比較を避けて生きていくことはできない。しかし個人的には小学校の間くらいは伸び伸びと過ごし、興味・関心のあるものになんでも挑戦する雰囲気で育つ方がポジティブな影響がある気がする。私は3月生まれで成長が遅く、小学校のときは周りと比べて運動や勉強ができずに自分を「できない子」だと思っていた。でも大人になってみると運動は特段苦手ではないし、新しいことを学ぶのはかなり好きである。競争社会への順応はどうせ長い間しないといけないので、小学生の間くらいはいろいろ試して自分の「好き」を見つける時間になれば良いと思う。