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エンジニアの日記帳。ものづくり、プログラミング、読書などについて書いてます。

心理的安全性について

2024/09/11

心理的安全性という言葉を初めて目にしたのは六本木の病院の待合室で、そのとき高熱が出て体調を崩し、会社を早退した私は診察を待ちながらスマホでネットサーフィンをしていた。記事の内容はGoogleの調査結果をまとめたもので、パフォーマンスの高いチームに共通する特徴を調べたところ、年齢・職種・性別・スキル・メンバーの仲の良さ・飲みにいく頻度などは相関がなく、心理的安全性という要素が大きく影響するらしい。心理的安全性とはざっくりいうと自分の意見を臆せず表明できる環境のことで、言いたいことを言い合えるチームは強くなる。こう書くと当たり前な気がするが、当時はスキルや仲の良さが大事なのかなぁとぼんやり思いつつどこか違うようにも感じていて、そのモヤモヤが晴れたようでうれしかった。その後インフルエンザと診察されて寝込むことになったのもあり、このときのことは印象深く覚えている。

それから10年経ち、特にWeb業界では心理的安全性というワードは馴染みあるものになっている。本もたくさん出ているし、チーム内で心理的安全性が話題になることもある。ただその概念はやや拡散気味で、同じ単語でも微妙に意味することが違ったりしてきており、個人的には扱いづらい単語になっているように感じる。そんな時に出会ったのが『「心理的安全性」は​​なぜ混乱を​​招き続けるのか』という記事。よくある勘違い、心理的安全性が目指すもの、対人リスク、心理的安全性を高める方法など、どのトピックも大きく頷きながら一行一行大切に読んだ(Webサイトの読み心地も抜群)。

何か気になることがあったとき、それをコメントできる関係性の方が良い。ただ関係性によっては「細かいかな」「毎回言っててウザがられるかな」「自分のやり方を押し付けてしまっているかな」などの思いが頭をよぎって伝えづらい。難しいのは関係性が希薄な初期だけではなく、仲良しになってからもこういった内容を言いづらいこと。好きな相手に嫌われるのは怖いし、純粋なフィードバックだとしてもそれがどう捉えられるかは相手次第だし、致命的なことでない限りわざわざ言わなくてよいか…と飲み込んで終わりにしてしまう場面も多い。そして数週間〜数ヶ月経つとまた同じことが気になり、言った方が良いのかまた悩む。こういうのに脳のリソースをとられてしまう。

自分の理想としては入社1年目でもベテランでも同じように話せるのが良いと思っていて、自分がベテランになってもアホな質問をし続けるのをOKとしたい。出典を忘れてしまったが昔読んだ文章で海外の授業を描写したものがあり、教師がザーッと説明したあとに質問を募ると手が挙がり、その生徒は「◯◯ってどういうことですか?」とまさに今教師が説明していた内容を質問する。日本だと「いま言ってたやん!」とツッコみたくなるが、教師は「OK、良い質問だね!」と言って黒板に向かい、まったく同じ説明を再びはじめるという話がある。登場する生徒にも教師にも学ぶことがある。心理的安全性は自動的に作られるものではないので、個々人が意識していく必要がある。まずは自分から、気づいたことは指摘してそれでも周りの評価が下がらないことを示したり、逆に指摘された場合はそれを素直に受け止めたり。まずは自分のできる範囲でトライしていきたい。