Feedback Loop
ちょっとできた時間の過ごし方
ちょっと時間ができたな、という時がある。待ち合わせに5分早く着いたとか、電車が遅延して10分くらいホームで待つ必要があるとか。こういうとき、「その時間よりも長くかかることをやる」ようにしている。
例えば電車遅延で10分時間ができたら、10分では読み終わらないような本を開いて読み始める。そうすると没頭して読んでいるうちにあっという間に10分が過ぎる。もうちょっとこのまま読みたかったな、と惜しみながら本を閉じることになる。逆にXのタイムラインを見たりとか、すぐに終えられることで時間を過ごす10分がとても長く感じてしまう。遅延の時間が伸びた場合、適当に過ごしていると時間を損した気分になるが、本を読んでいればもう少し長く読めることをラッキーだと考えられる。読書じゃなくて英単語の勉強でも、気になる何かを調べるのでも、YouTubeで動画を観るのでもいい。なんでも良いが、すぐに頭を切り替えて没頭状態に入れる何かを持っているとスキマ時間をボーナスタイムのように感じられる。
最近6時間くらい飛行機に乗った。閉所でじっとしているのに苦手意識があったが、読みたかった本を2冊、観たかった映画とドラマをiPadに入れて臨んだところ、それらに没頭していたらすぐに飛行機が着いた。6時間も我慢するのが嫌だなではなく、6時間をどう分配しようか考える思考になった。急に時間ができたり苦手意識があるものはなかなか変えられないが、それを前向きに捉えられる仕組みを考えていきたいと思っています。
iPhoneを能動的に使う
スマホ依存から脱するべく、iPhoneの通知をすべてオフにしている。正確には通話とLINEだけ通知を許可しているが、他のアプリはすべて通知オフ。スマホに注意を取られないようにしている。
一説によるとスマホが視界に入った状態で作業すると集中力が30%ほど落ちるらしい。通知で画面が光った場合はもちろん、それ以外の時もスマホのデバイスが視界に入っているだけで注意を取られてしまう。Apple Watchがはじめて発売されたとき、Appleファンの自分も購入し、腕に巻いた。Apple WatchはiPhoneと連動して動作し、通知が来るとウォッチがブブッと振動して教えてくれる。腕がノックされると体の反射として必ず注意が取られるが、食事中やミーティング中に何度も腕がノックされてかなり煩わしかったのを覚えている。結局Apple Watchはその初代以降買っていない。
アプリの通知をオフにし、気になるタイミングで自分でアプリを開いて確認するようにしてからは集中力を取り戻せた。スマホでつい触ってしまう代表格はX(Twitter)だが、Xのアプリも消した。投稿や知人の投稿を見たいときはブラウザからアクセスしているが、それもControl Panel for TwitterというSafari拡張を入れて、おすすめタブやトレンドを非表示にカスタマイズしている。この運用にしてからXを触る時間をかなり抑えられたと思う。
最近のiOSではアプリを残したままホーム画面から非表示にできる。ほとんど使わないけど、たまに必要系のアプリはすべて非表示にする。YouTubeなど、よく使っているため体が覚えて無意識に開いてしまうアプリがある。そんな時はホーム画面のアプリの位置を入れ替えて、その場所に日経電子版やKindleやなどその時間で代わりにやりたいことを置く。便利すぎてスマホからはもう逃れられないが、できるだけ能動的に使うことを意識したい。
英語
1週間ほど仕事を休んでフィリピンに行ってきた。旅行中、英語について自分の中での変化を感じたので書いておく。
長い期間、英語を話すことに苦手意識を感じていた。よく覚えている場面は二つあって、一つは大学生のとき。大学のサービスで、昼休みにこの教室にいくとネイティブのスタッフと英会話できますよ、みたいな仕組みがあり、それに友人と参加した。30分くらいの間ほぼ喋れず、いくつかの言葉を捻り出すもスタッフから「喋るのが遅すぎておばあちゃんと話してるみたい」と言われた(今となっては友人と思い出して笑う対象になっているが当時は凹んだ)。
二つ目は社会人になってからで、出張でサンフランシスコに行ったとき。街中を船で移動する必要があって、次の船は何時?というシンプルな質問を聞けなかった。難しい単語や文法が登場する会話でもなく、たぶん「Next Ship?」とか言えば意図を汲んで教えてもらえたと思う。たぶん質問して応えてもらったときに聞き取れないのが怖くて聞けなかった。これが大体10年前のこと。
今回のフィリピン旅で、英語への抵抗がかなり薄らいでいることに気づいた。例えばホテルの部屋の空調の調子が悪いことをフロントに電話して修理をお願いする。カフェでコーヒーを頼むときにカフェインレスのものがあるか聞いて変更する。説明に分からない部分があったら有耶無耶にせず聞き返す、など。以前なら諦めたり我慢してたりしてた場面で、普通にというか、会話できるようになったことに成長を感じる。
この英語へのマインド面の変化がどこで起きたかというと、5年ほど前に行ったカナダ・バンクーバーでの体験がデカい。バンクーバーは一年の多くが雨で、「レインクーバー」と揶揄されるくらい雨がよく降る。それを知らずに計画していたプランは雨でほぼ崩れ、特にやることがないまま2-3日をホテル周辺で過ごした。さすがに暇すぎると感じて飛び込んだのが現地の英会話レッスン。カフェの一角で行われたこのレッスンは主催者の先生が6人の生徒に順に話を振っていく形式で、イディオムを学んだり、それを使って自分の体験を話したりなどを1時間ほど行った。生徒は日本人は自分だけで、他にはメキシコなど中南米の人が多かったように思う。そこで衝撃的だったのは、なんとこの生徒達のなかで自分が一番英語を喋れたということである。それまで「日本人は英語が苦手」というイメージにより、海外では通用しないんじゃないかという恐怖を常に抱いていた。でも第二言語として英語を話す人たちはみな英語を勉強して話していて、その立場は自分とまったく同じことにこの時初めて気づいた。みんなで英語を勉強しているなら間違うことを恐れて喋らないんじゃなく、たくさん喋って間違いをフィードバックしてもらう方が良い。カフェからホテルへの帰り道、レッスンを思い返してテンションあがりながら帰ったことを覚えている。
海外登壇の準備でNativeCampをやりまくったり、コロナ禍で暇すぎてTOEICの勉強をしてたりと定期的に英語を勉強してきたのももちろんあるが、自分の原体験としてはこのバンクーバーの英会話教室がデカい。日本語だといろいろ緻密に表現できるところを、英語だと語彙が少ないので自然とシンプルな表現になるのも英会話の楽しいところ。久しぶりの海外旅行だったけどまた行きたいです。
尾ヒレをつけない
パリオリンピックでは誤審が話題になった。男子バスケ予選の対フランス戦、ほぼ勝利が確定したと思われた最終盤で河村がファウルを取られて追いつかれオーバータイム(延長戦)へ。結局日本が負けることになった。
河村のファウルは素人目線でも体の接触がないように見え、試合後にXを検索してみた。今のは誤審、という声が多い。バスケ経験者の友達もあれは誤審だと言っている。やっぱりそうなのかと思いつつXを追っていると気になることがあった。誤審から派生し、「やっぱり女性審判は微妙だ」と言ったり、その審判の個人のInstagramにジャッジを揶揄するようなコメントを投稿したりしている人が多くいた。
誤審が問題なら、指摘するべきは決定機の判定にはVARを適用するとか、一試合一度しか使えないヘッドコーチチャレンジの仕組みを見直すとか、相手のホームで戦っているのだから判定びいきを考慮してディフェンスも距離を空けて行うべきだったとか、そういうテーマで話すべきなんじゃないか。それをジェンダーとか個人の問題にするのはかなり違和感がある。そこじゃないし、誤審という主張が変に曲げられてしまっていると感じる。
何か起きた時に意見を表面するのは良いことだと思うが、起きた事実に素直にコメントするのではなく、元から自分が持っていた主張をその出来事に絡めて表現することが多くなっている気がする。結論ありきの主張は聞いてて疲れるし、相手に届きにくいので改善にもつながりにくい。何かについて話すとき、尾ヒレをつけずにただ受け止められるように気をつけたい。
「何を作るか」のアイデアの作り方
仕事とは別で、趣味でWebサービスやスマホアプリを作っている。平日の夜や週末などに。作ることは楽しいし、うまくいけば広告やサブスクで収益をあげられるので良い趣味だと思うが、難しいのが「何を作るか」を決めること。自分の学びたい技術が何か、個人で作れる規模か、どれくらいの期間で作りきれそうか、便利なもの or 使っていて楽しいものか、それにお金を払ってくれる人はどれくらいいるか、Webで作るかアプリで作るかなど、とても多くの変数がある。
これまではその時々で興味のあるもの、関心のあるものを作ってきたが、継続してアップデートできているものもあればリリース以降メンテできていないものもある。その違いは何かというと「本当に自分が興味を持てているか」だと思う。
自分が憧れる作り方に、コツコツ改善していったらクチコミで少しずつ広がり、やがてヒット作になっていくというものがある。最初の数ヶ月はユーザー数が3人とかで鳴かず飛ばずだが、改善を続けていくと利用者数のグラフは右肩上がりになっていく。有名なところだとAirbnb、個人開発でいうとTODOアプリのミントなどが思い浮かぶ。振り返って語られるのは、初期のユーザー数は確かに少なかったが、その数人はとても熱量高く使ってくれていた、みたいなエピソード。誰か一人に深く刺さるものは他にも刺さる人が必ずいる。ただインターネットは広大なので対象者に届くまでに時間がかかる。それを待ちながら、自分のサービスを信じて改善していけるかがポイントになる。
一番良いのは自分が欲しいと思うものを作ることで、これは自分が熱量の高い最初のユーザーになれる。まず一人はユーザーを確保できることになる。こういう機能が欲しい、こういう用途で使いたい、というのも解像度高くわかっているので、誰かに刺さるものを作りやすい。最近読んだ「THINK BIGGER」という本にアイデアを出す方法が書かれている。
- 毎日の生活に起こる、解決したい課題を書き出す。苛立たしいもの、解決が待たれる課題はなにか。繰り返し登場するものは何か?
- 関心のあるテーマ、詳しく知りたいテーマを書き出す。情熱を持てる課題、課題解決を通じて学びたいことは何か?
- 毎日の生活で大切にしていることを書き出す。大切なこと、その時間をもっと充実させる方法はあるか?
この3つを一日の終わりに書き出す、というのを毎日やってみた。そこから生まれたのが、zenncastというAIラジオサービス。エンジニア向けの記事をAIがラジオにしてくれるというものだが、これは「AIに興味がある」「Podcastが好き」「情報収集の効率化」あたりの軸を重ねてできたアイデア。これは作っていて面白かった。
他にも、これは楽しく作れたな、という過去作を振り返ってみる。オンラインお絵かきアプリのお絵かきコラボは、子供の頃絵を描くのが好きでまた描きたいなという思いがベースにある。偶々YouTuberの方に取り上げてもらって大変多くの方に遊んでもらったが、リリース後半年くらいのユーザー数がほぼゼロの時期がなぜか一番楽しかった。アプリを見つけて試してくれた人と一緒に絵を描いたり、会社の同僚が入ってきて一緒に絵を描いり、自分が欲しい機能を自由に実装したり。楽しい時間だった。
最近つくったのだと「Relief」という日記アプリ。こちらはまったくユーザーはいない。日記の可能性を感じて作ったもので、書くことで心を落ち着かせる経験がもっと一般的になったら良いと思うし、何より自分がこういうアプリが欲しくて作っている。リリース後はあまりアップデートはできていないが、定期的に気になってアプリを見てはこういう機能もあったら良いよな、とか考えたりしている。モチベーションがいつまでも消えないのは、日記というテーマが自分にとって興味深い領域だからだと思う。
技術トレンドに乗っかろうとか、こういうサービスが海外で流行っているから真似しようとか、そういう動機で作ったものは長続きしない。リリースしてすぐに脚光を浴びるのはレアケースで、大体は自分ごとにしてコツコツ続けていくとある日花開くという図式な気がする(広告打ちまくるとか大企業の資本を使えば別)。自分は多くのユーザーに使ってもらうことよりも、あーでもないこーでもないとサービスの設計をしている時間の方が好き。興味のあることをテーマに、色々作って行けたら良いなと思う。