手に馴染んだ道具は意識から消えていく
「モードレスデザイン 意味空間の創造」を読んでいる。デザインの本質に迫る金言ばかりで読んでいてとても面白い。その中のひとつ、道具についての論考に「ハンマーで釘を打つとき、ハンマーの使い方を意識することはない」という一文がある。良い道具は手に馴染むと意識から消え、「釘を打つ」という目的に集中することができる。
これはハンマーという道具がシンプルなことによる作用に思えるが、そうではない。例えば自動車はハンマーよりはるかに複雑だが多くの人が操作でき、運転中はそのシステムに思いを馳せることはない。これはハンドルを回した分だけ車輪の向きが変わる一貫性と、フロントガラス越しの景色で自分の操作がどう反映されたかすぐに理解できるフィードバックの滑らかさに基づいている。これが仮に「左に30度曲がる」ボタンを押して操作し、「現在の景色を表示」ボタンを押して景色を確認するようであればまるで違う体験になる。こう書くとバカらしく思えるが、実際に業務アプリケーションの多くはそんな使い勝手になっている。
一度自転車に乗れると乗り方を意識しなくなるように、スキルを習得すると無意識でできることが増える。例えばパソコンで「diary」とタイピングする場合、不慣れな人は「d」「i」「a」「r」「y」と一文字ずつ意識するが、成熟した人は「diary」がひとつの単位になる。さらにエンジニアなど日常的にタイピングする人たちにとっては指が勝手に動くような感覚にも近い。キーボードで文字を打っているという感覚は限りなく少ない。
ギターで曲を奏でるとき、弦を抑えるために普段使わない形に指を変形させる。これも慣れるまでは反復練習が必要。人間にとって自然ではない指の形にはなるが、人から音が出るというのが自然ではないことなので変ではない。人間は自分たちの能力を拡張するために道具を作ってきた。使いやすく、無意識でも使えるパーツを装備していくことで人間自身の可能性を拡張している。