Feedback Loop
良いユーモア 悪いユーモア
年末が近づくとM-1の話題が多くなる。M-1は関西では圧倒的視聴率を誇る番組で、私も学生時代から毎年欠かさず見ている。今年は何度か劇場にお笑いを観に行っていて、テレビでまだ見かけない若手の面白さを知れてさらに楽しみが大きい。応援しているのはエバース、バッテリィズ、たくろう。真空ジェシカには今年も決勝で笑わせてもらいたい。
お笑いは素晴らしい文化で、仕事の場でも役立つことが多い。例えば会議で特定のテーマについて話していて、話題が行き詰まるときがある。そんなときユーモアのある一言が差し込まれると頭が解きほぐされ、そこから次のアイデアに繋がったりする。失敗をポジティブに転換できるのも素晴らしいところだ。芸人は過去の自分の失敗談をエピソードトークとして昇華する。仕事で失敗したとき、後悔をいつまでも引っ張る必要はない。十分に反省したら、あとは自分の情けない話として笑いにするくらいがちょうど良い。
星野源は自身のエッセイ「いのちの車窓から」で、学生時代に大便を漏らしたことが自分の暗さを形成したと書いている。そ体験は彼の中で長らくトラウマになっていたが、その後とあるオーディションでその話をすることになる。するとその役がたまたま「うんこを漏らす」役で、見事合格。自分の辛い過去が仕事につながり、心の持ち様が変化したことを綴っている。辛い出来事、大きなコンプレックスはなかなか人に話せず自分だけで抱えてしまう。それを人に笑い話として話せたとき荷物は軽くなる。自分のなかでその経験を何かに繋げ、ストーリーにすることで他者に話しやすいものになっていく。
お笑いの悪い使い方もある。それは相手の表面上の発言を切り取り、それに対して笑いで被せる行為。例えば自分に都合が悪いことを言われたとき、それをユーモアの形で煙に巻く。立場が上だったり、周りから好感を持たれてる人は特に簡単にできてしまう。私も以前真面目に指摘したことがその場のノリで笑いにされ、議論に取り合ってもらえなかったことがある。その場は楽しげに盛り上がったが欲しいのはそんなものではない。本気で聞いたことがはぐらかされ、やりようのない気持ちにさいなまれたことを未だに根に持っている。自分は仕事でこういうユーモアの使い方はしないと心に決めている。
友人の相談に乗っているとき、真面目かつ重くなりすぎずにそれを受け止めたいときがある。相手が恐縮しない程度には軽やかに、話題を終えてしまわない程度には正面から。聞き方はなかなか難しいが、これもユーモアにヒントがあると思っている。ちゃんと聞いているのは態度で示しつつ、言葉上ではユーモアを挟みリズムをつくる。真面目さとユーモアのバランスは、上手くなっていきたい要素のひとつである。