コンプレックスを武器に
コンプレックスを克服する話は人を惹きつける。例えばあるアーティストが声変わりせずに高い声を周囲から揶揄されるも、それを歌声として活かしてヒット作を連発する。マイナスなこととされるものでもそれは単なる特徴で、社会がそれをネガティブな要素だと判定している。勝手に決めつけてくる周囲の眼差しを特徴を活かして突き抜けていく様は美しい。
こう思うのは誰にでもコンプレックスがあるからだろう。身体的特徴でも過去の実体験でも、人に言いづらいキズは誰しもが持っている。周りの人と比べては足りない部分を確認してしまう。SNSが流行してからは比較する対象、機会がとても増えた。コンプレックスの克服、嫌いだった部分がやがて自分を救ってくれるというエピソードは耳心地が良い。
しかしそうそう綺麗に伏線が回収されることはなく、実際にはコンプレックスは抱えている時間の方が長い。この時間は辛いが、最初は目を逸らしてもよい。落ち着いて向き合えるようになったら日記に書いたりして言語化してみたらよい。人に話せるくらいに過去のことになれば、信頼できる友人にだけ打ち明けてみたらよい。ラッパーのR-指定も自分の内面と向き合うプロセスを「最初は自傷行為だが、やがてセラピーになる」と表現している。この痛みの先にはどこかに出られると信じ、時間をかけて付き合っていくしかない。
何かに苦しんでいるとき、自己効力感を回復させることを優先したい。仕事でも趣味でもなんでもよいが、「自分にもできることがあるな。これは得意だな」と思える何かに時間を使う。エネルギーが不足しているときに挽回しようとしても中々うまくいかない。しんどい時はまず回復。自分に栄養を与えるような行動を意識する。エネルギーが充満すれば自然とまたやってみようかという気になる。それから再チャレンジするのでもまったく遅くない。