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東京じゃない場所で暮らす
東京から関西に引っ越して3年ほど経った。地方都市に住んでいることもあって不便はない。東京を離れて思うこととしては、東京は街ごとに役割が分かれている。渋谷、新宿、原宿、大久保、秋葉原、中目黒、巣鴨。それぞれが大きな都市で特徴がある。年代や興味によって行く場所がカテゴリ分けされている。
大阪も最近は大変発展しており、駅前でいうと東京並みかそれ以上だと思うこともある。しかし東京と違うのはこれくらい巨大な駅が周りにあまりないということ。そのため老若男女いろんな人が集まる。最先端のファッションに身を包んだモデルのような人が歩く隣で、腰を曲げて散歩するおばあちゃんがいる。いろんな世代の人が伸び伸び過ごせる空間はなんだか居心地が良い。
昔カナダのバンクーバーに行ったことがある。バンクーバーは自然と都市のバランスが取れた街で、移住した人も多くいろんなバックグラウンドの人が暮らしている。小さなカフェでコーヒーを飲んでいると、隣の席で若いカップルがプロポーズをしていた。おぉと思って逆側の席を見ると、そこでは老夫婦がトランプでババ抜きをしている。レジの方を見ると店員がカウンターの中で本を読んでいる。いろんな空間が混じっているなと思った。ここまで各々の時間を過ごしている光景はあまり日本では見かけないなぁなどと考えていたが、大阪のミックス具合からは近しいものを感じる。
大阪駅の付近は高層ビルが立ち並ぶが、少し離れるとそうではない。賃貸の値段もそこまで高くはなく、近くに住んで自転車で通う人も多い。電車も混む時はあるが東京ほど極端ではない。飲食店の値段もちょっとだけ安い気がする。総じて住みやすい。東京を離れて失ったものが何かというと気になるイベントや勉強会に気軽に行けなくなったことだろう。人が集まる会は人が多いところでやるに越したことはないので合理的に東京が選ばれる。出張でたまに行ってるとはいえそこまで頻繁には行けない。このあたりは仕方ないものと割り切る必要がある。少人数の集まりなら自分が企画すれば良いのもあるかもしれない。
キャリアは轍
「キャリア」と聞くと今後どうなっていきたいか、どんな役割を目指したいかを連想するが、キャリアの語源は轍。前方ではなく車が走った後にできる。自分がこれまでやってきたこと自体がキャリアである。
目標を立てることが尊ばれている。何歳までに何を実現したいか、明確な人ほど良いとされている。10年後の状態から逆算して現在の行動を決める。そうできたら良いだろうが、なかなか今時点で10年後を決めるのは難しい。自分は「便利なものを作りたい」というなんとなくの方向性があるくらいで、具体的なイメージはそこまでない。何かを消費するよりも作っている時の方が脳汁が出て楽しい。その状態をできるだけ長くしたい、くらいに思っている。
『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』という本がある。起業してうまくいった人にアンケートを取り、共通する部分を抜き出して深掘りした本だが、その中に偶発性を味方につけるという章がある。目標までの道が明確な場合、偶然起きる出来事はノイズになる。目標を抽象化して持っているとき、偶然の出来事は「この状況をどう活かせるか?」の追い風にできる。どんなトレンドになり、どんな人と今後出会えるかはわからない。すべてを逆算して計算するのではなく、その時々の偶然を楽しみながら取り入れる。良し悪しはわからないがこの発想の方がなんとなくスキである。
ある地点を目指そうとするとき、自分がいま持っている状態を考慮せずに決めてしまうことが多い。自分にできること、自分が身を置く環境はどんなものか。そこからステップを刻んで目標地点まで進めていく。一足飛びに目的地に辿り着こうとすると、自分に足りないところばかり見えて息苦しい。目的地の方向性は見つつも、途中の寄り道も楽しめるような余裕は持っていたい。
とはいえ、ソフトバンクの孫さんやサイバーエージェントの藤田さんなどの偉大な起業家は目指す先を早い段階から定めている。それを宣言することで周りを巻き込んだりもしている。世の中を動かすために大きな志を持つことは間違いなく良いことなので、自分のやりたいことがそこにないということかもしれない。顔の見えない100万人に使ってもらうより、よく知る周りの人たちの課題解決に取り組んでいる時の方が楽しい。作りたいのは立派な会社ではなく、使いやすく便利なサービスである。
リベラルアーツとは何か
リベラルアーツとは何か?博識や物知りとは違う、実践に基づいた教養。例えばスーパーのレジに並んでいる時に前に割り込まれたとする。その時「なんだコイツ」という怒りで終わらせず、この人がどういう状況にいるのかに想いを馳せる。子供が家で泣いていて急がないといけないのかもしれない。大事な仕事がこの後あり急いで戻らないといけないのかもしれない。実際どうかはわからないが、こうして一呼吸置くことで余白ができ、多面的に考えられる。リベラルアーツはそういう類のものだと理解している。
リベラルアーツは実践の中で磨かれる。色々な分野の学問を学び、それを実践する。専門職的なスキルが高い人はすごいとは思うが憧れの対象ではない。憧れるのは自分の基準を持っている人。「自分はこうしたい。だからこう行動している」こうやって自身の価値観をシンプルに言語化できる人には憧れる。
一生手元に起き続けたい本に「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」がある。シンパシーとエンパシー、日本語に訳すとどちらも「共感」だが意味するところは異なる。シンパシーは自分と同じ属性に対して感じるもの。一方でエンパシーは相手の立場になって考えることだ(=他者の靴を履く)。明らかに一方に非があると思われる状態でも一考の余地を残す。相手がその言動に至ったのはどういう背景があったか?想いを巡らせた結果それに同意できなくても構わない。相手の立場で考えることは上手くなりたい・継続していきたいことのひとつ。
最後に、楠健一さんの著書「経営読書記録 裏」に書かれていたお金とリベラルアーツについての一節を紹介。
なぜお金が好きなのか。オプションが増えるからだと思います。僕は今日、地下鉄でここまで来ましたけれど、もう少しお金があればタクシーで、すごくお金持ちならヘリコプターで、というふうにオプションが増えていく。これがお金の便利なところです。
ただし、お金があれば自由が手に入るかというと、そんなことはまったくありません。増えたオプションのどれを選ぶかは、その人の価値基準にかかっている。自分の中に価値基準がなくてお金というオプションだけたくさん持っているような人がいます。そういう人は自分の外にある物差し、世間の基準で判断するしかないわけです。
この「価値基準がある」というのがリベラルアーツ、つまり教養のある人の定義だと著者は言っている。お金が増えると便利になるのは間違いないが、それイコール幸せというわけではない。自分の中で長年モヤっていたが、リベラルアーツと絡めて綺麗に言語化してもらった。最後にもう一節。
自分の人生を自分の思うままに生きる。これがいちばん大切なことだ。世の中は自分の都合で回っているわけではない。ほとんどのことが自分の思い通りにはならない。それでも、自己に内在化された価値観に基づいて考え、自律的に選択したことであれば、泰然として受け止められる。
自分で決めたことなら失敗しても受け止められるが、他人に決められたことは失敗したら他責にしてしまう。何をやるか?から自分で決められるのが自由。「幸せ」になるために、その状態を長く続けるために、自分にとって大切なものは書き留めておきたい。
しずかなデザイン
仕事柄いろんなWebサービスに触れるが、最近のサービスはスッキリしたデザインのものが多い。トーンが統一されていて情報が整理されている。色を使いすぎず本当に重要なところだけ強調されている。大事な箇所が一目でわかるのは優れたデザインの条件の一つだ。
逆に、ひと昔前はデザインが優れていて感動していたサービスでも今見ると古く感じるときがある。デザインにもトレンドがあり、リリースした状態のまま留まっていると古くなってしまう。真面目な頭で考えると、見た目のリニューアルよりも新しい機能を追加した方がサービスや事業が成長するという計算になりやすい。デザインの良し悪しは数字で計りづらく効果も予測しづらいから。しかし扱っている課題や他社の状況にもよるが、感覚的には良いデザインには強い競争力があると思う。
最近は静かな空間を作りたいと思っている。罫線だらけのサイトや文字ばかりのサイト、コンテンツがぎゅうぎゅう詰めになってるサイトは例え中身が良くても居心地が悪い。テキストや画像がロードされるまで四角形や円を代わりに配置しておくスケルトンローディングという手法がある。ロード中は波打つようなアニメーションで図形の色が変化する。頑張って読み込んでいますよ感を伝えるのには一役買っていると思うが、画面いっぱいにスケルトンローディングがあると騒がしく感じる。もっと落ち着いたローディングで良いし、さらにいうと読み込み速度が高速な方が良い。表示の高速化や機能の使い勝手など、デザインは装飾だけでなく本質に絡んでいる。
Web"サービス"と名がついているが、一流ホテルのサービスと比べるとまだ遠い。余白のある落ち着いた空間で信頼感がある。スタッフは親切に教えてくれるが押し付けすぎない。困ったらなんでも相談できて、聞けば詳しく教えてくれる。小さな感動があり、そこに滞在したことを誰かに伝えたくなる。また訪れたくなる。こういった体験をWebサービスでも実現したい。落ち着いた空間、知りたいタイミングで教えてくれる情報設計、色使いや言葉遣いから信頼感を感じられる。ちょっとした工夫に感動し、何度も来たくなる居心地の良い場所。サービスづくりのヒントは普段の観察から得られる。
supernova
「熱が出たりすると 気づくんだ 僕には体があるって事 鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事」
BUMP OF CHICKENのsupernovaという曲の歌詞だが、風邪を引くといつも思い出す。普段当たり前に思っている事でも失うとその大事さに気づく。体のことは怪我した人が一番よく知ってるし、健康の大事さは体調を崩した人が一番知っている。
先週怪我をした。仕事終わりにスーパーに買い物に行く途中、暗い夜道で側溝に落ちて腕を擦りむいた。その瞬間はアドレナリンが出て痛みがわからなかったが明るい場所で見ると痛々しい傷になっており、ガーゼと包帯を巻いて一週間くらい過ごしている。
幸い指はいつも通り動かせるので仕事は支障なくできる。とはいえたまに痛むし包帯は目に入るしで、なんとなくやる気が出ず個人開発はお休み。ソファでごろごろしながら本を読むなどして過ごしている。怪我をしたのが右手で、ノートにペンで色々書いたりできないのも辛い。日記を書いたり考えごとを整理するときは紙に書くことも多いので、考える力が数段落ちているような気がしていた。
年を経るにつれ健康の大事さは増している。引っ越してからは水泳も行けてないが年始から再開する予定である。とりあえず右手が完治するまではゆっくり休もうとしており、今楽しみなのはM-1。応援していた真空ジェシカ、エバース、バッテリィズの3組がすべて決勝に上がってうれしい。ダークホースといわれるジョックロックにも期待。M-1は予選のネタがYouTubeにアップされるが、決勝に残ってない中で面白いと思ったのはナユタというコンビ。まだ大学2年生らしいが雰囲気もネタもかなり自分に刺さっている。お笑い好きの方、12月22日は一緒に楽しみましょう。