今が「途中」だと思えば気が楽になる
どんな結果にも運の要素は含まれる。例えばWebサービスを作っていて、どれだけ技術力があり、どれだけデザインを作り込んでも時期やタイミングが悪ければヒットしないこともある。「絶対に当ててやる」と気合い十分で挑んでもコントロールできないことはある。自分にできることは完成度を高める、作ってるものが本当に役立つか考え続けて改善するなど、自分のコントロールできる中で最善を尽くすところまで。
「絶対に当てる」をゴールにすると運要素が絡み、達成できないときに自分を責めることになる。こういう時は「いまは道の途中」だと考える。もしリリース後に誰からも注目されなくても、届けたい人に届くまで続ければ良い。仮に作ってるものが大炎上してしまっても、次に作るものでその教訓を活かせばいい。ゴールからの逆算ではなく積み上げで考える。昨日より今日に出来ることが増えていればそれで良い。
絶対はないと分かりつつ、それでも99%を目指して頑張る姿勢もある。それも尊重されるべきだと思う。その方が自分が燃えて楽しいならそれで良い。しかし後がないような状況に自分が追い込まれてしまうならそこまで切り詰めなくても良い。幸せとはゴールすることではなく、ゴールに向かう道中にこそある。目標に向かって進む過程そのものを楽しめる状態でいたい。
自分がかけて欲しい言葉を自分でかける
家族や友人、恋人など自分の身近な存在であっても自分のことを100%知ってもらうことはできない。各々がこれまで形成してきた価値観があり、その窓を通してしか世界を見ることはできない。例えば何か悩んでいたとき、それを相談するともらえるのはその人の立場からのアドバイス。これは自分が心から欲しかった言葉ではない場合が多い。しかし相談を聞いてくれてアドバイスまでしてくれるのはありがたいこと。少し違和感のあるアドバイスをそのままやってみることもあるが、やはりしっくりこない。
自分がかけて欲しい言葉は自分がすでに知っている。なら自分で自分に声をかければいい。紙に自分の悩みを書き出す。次に別の自分に切り替え、その悩みに対するアドバイスを書いていく。自分がかけて欲しい言葉はなんなのか。具体的な解決策なのか、自信を失っていて肯定して欲しいのか、寂しくて誰かに側にいて欲しいのか。スラスラと書いていくうちに自分の心が回復していくのが分かる。その言葉はピッタリ自分向けの言葉なので、無理に自分をズラして合わせる必要もない。
自分に自信が持てないとき、過去の誰かの発言がトラウマとなってる場合が多い。小さい頃に母親からかけられた言葉など、自分が大切に思っている人からの言葉ほど強く刻まれる。それも同じく紙に書き出し、冷静な今の自分で分析する。自分に植え付けられた価値観は本当に正しいのか?その言葉をかけた人はどういう世界が見えているのか?「親も同じ人間で間違えることがある」と理解できた時が真の親離れの時期だと最近本で読んだ。人は自分の見える世界で考える。自分にとって何が大事かは、自分が決めなければいけない。
友人と将棋した(2回目)
趣味として将棋を勉強している。年始に始めて先月初めてオンライン対局、今回はもう一名声をかけて3人で指した。声をかけたのは前職の同期で、振り返ってみると話すのは8年振りくらいだった。月日が過ぎても喋るとあの頃のままなのが面白い。関係性はその時代ごとに保存される。
対局は負けたがその後の感想戦が面白い。普段野良のマッチング対局した後もAIを使って振り返りはしているが、やはり人と話しながら振り返ると身になり方が違う。数日経った今でもあの時こう指してたらどうだったのか?と考えたりする。持ち時間を序盤で使い切ってしまう悩みがあると相談すると10秒将棋を勧められた。将棋ウォーズでは無料プランだと1日3局指せるが、しばらくは10秒将棋で即決力(と相手の時間に先を考えるクセ)を身に付けたい。
人生後半の友達は趣味で作りたい。将棋や麻雀、個人開発、Podcastなど共通の関心でつながるのは心地よい。人生前半は所属によるコミュニティだった。学校、サークル、会社の同期。年月を経るごとに生活サイクルや仕事観などが多様化して所属でつながり続けることは難しくなる。好きなことを見つけ、その文脈で新しい関係性を築けるようになればどこにいても楽しめる。まずは地域の将棋教室あたりに顔を出してみたい。
「からまる毎日のほぐし方」を読んだ
「からまる毎日のほぐし方」を読んだ。著者の尾石さんはVoicyの人気パーソナリティらしく、年齢やキャリア、人間関係などの「からまり」を一つずつほぐしていく形式のエッセイ集。年齢が30代、40代、50代と移ろうにつれ直面する問題も変わっていく。ミドルエイジの悩みとそれをどうほぐすかの考えが述べられていて引き出しの数を増やしてくれる。
いくつか印象に残ったエピソードを書く。「できるけど疲れるもの」に注意するという話。「できない」に比べて「できるけど疲れるもの」は軽視されやすい。表面上はできるし周りからも上手だねと言われたりするが、自分的には実は苦手なもの。そういうものはエネルギーを食い尽くし、いずれは疲れ果ててしまう。頻繁にマッサージに行ったり週末にリベンジ夜更かしをしたりと自分のメンテナンス時間が多い人は要注意。気付かぬうちに疲れてしまっている可能性がある。
毎日予定が詰まっていて忙しいとき、その予定は誰のためなのかを分析する。誰かのためのミーティングや予定で時間が埋まっているなら、それは忙しいというより心が寂しがっている。起業家など、自分の意思で忙しくている人は忙しいなりにその状況を満喫できている。自分の意思で決めた状況であれば受け入れられる。
お金の価値。一瞬の贅沢ではなく日常のささいな不便を取り払うことにお金を使う。作中の例では子供の自転車のチェーンが剥き出しになっていて、ズボンに当たってよく汚れてしまう。自転車屋さんに行くと処置はできるが5,000円かかる。我慢することもできるが、こういう小さな我慢から解放されるのがお金の良い使い方。豪華な外食をするよりも、ゴチャついているクローゼットを100均のアイテムを買ってきて整理する方が満足度は高い。
社会人歴も十数年となり、健康や生活、人間関係など直面する壁の種類も変わってきた。キャパオーバーする時もあるが、焦らず急がず、一つずつほぐしていく姿勢でいたい。
毎月の自分のAI予算を決める
毎月1万円分の本を買うようにしているが、これは「レバレッジ・リーディング」に書かれていたことをそのままやっている。毎月1万円はそれなりの金額で、特に社会人になりたての頃には高額だったけど、それは必ず自分に返ってくるという話だったのでそんなもんかと真似し始めた。色々な経験を積むほど視野は広げられるが個人の活動範囲には限界があり、その意味ではいろんな人がいろんな立場でした体験を読書で取り込めるのは価値が大きい。こんな感じで読書のための予算を取ってるが、今の時代ではAI予算のような考え方良いのかなと思っている。
AIはブームではなく時代の変化で、今後必ず様々なAIツールで仕事が激変する。今も一部の仕事をAIに任せられるようになってきたが、これからの伸び方が遥かに大きいはず。そうなるとAIの流れには上手く乗っていきたい、そして流れに乗るには次々とリリースされるAIツールをちゃんと自分で触ることが大事になってくる。
SNSはアテンション・エコノミーで、とにかく注意を引いたもの勝ちになりつつある。AIというワードを使えばそれなりに注目を集められるのでみな騒ぐ。それに焦らされるのも違うし、完全に無視して何も試さないのもまた違う。自分の解としては「手を動かして学ぶ」ことを重視したい。AIツールは聞いてるだけだと忙しいが自分で試せば大体理解できる。たまに理解できないものもあるが、それは自分の領域とは別ジャンルの課題を解決するものだと整理しておく。
実際触るのは良いが、時間もお金も有限である。特にAIサービスはマシンリソースを使う分それなりにお金がかかる。どのサービスも大体月額20ドルで、気軽に契約するには高すぎる。そこで本の購入予算と同じくAI予算定める。例えば毎月1万円分は好きにAIツールを使って良いこととする。それを超えて別サービスを契約したい場合は先に使ってないAIサービスを解約して予算の再割り当てを行う。こうして回していけば色んなサービスを許容範囲内で触っていけそうだ。
契約したら使い倒すことはポリシーとして定めておきたい。少なくとも人に特徴や将来性、どういう実務で具体的に役立つかを説明できるレベルにしておく。そうして毎月いろんなものを触っていけば自分の中でAI活用の解像度はあがりそうに思う。4月からはこの考え方で色々試していきたいと思っている。