「すべき」から解放される

仕事のセオリーであったり世間一般の常識であったり、大人になるほど「こうすべき」が身についていく。先人が積み上げたノウハウ集なので従えばある程度はうまくいく。しかしと周囲と同じ行動をすることになるので成熟してくるとそこでは差がつかない。方法論ではなく、自分の見てきたものや考えてきたものの反映が差別化になる。
自分が「すべき」に捉われていると他人にもそれを求めるようになる。相手に勝手に自分の基準を押し付ける。相手としてはそんなもの知ったこっちゃないので、当然基準に沿わないことも多くなる。それを見てその人がダメだとか、仕事ができないとか判断を下していると世界はどんどん窮屈になっていく。
「すべき」ではなく「したい」を大事にする。自分はこうしたい、こう考える、というのを信じてみる。世の中の常識とは違っても、自分の内なる声に従う方が後悔が少なくて済む。人に依頼するときは自分の想いを伝えて、その上でどういうものが返ってくるかはその人次第。その出来は良し悪しというよりは自分とその人の相性なので、そういうものとして受け止める(認識がズレてるなどそれ以前の問題であれば修正する)。
組織やチームでいうと、「すべき」をルールでガチガチに固まるのではなく、「こういうチームでありたい」というビジョンを伝える。しつこいぐらい何度も伝える。目指す先だけど共有できてれば、あとは各人がそこを目指して自分なりの最高の道筋で進んでいける。楽しんで創意工夫するチームは強い。そういうマインドが育まれる組織でありたい。
不幸になる方法を考えて逆を行く
最近は自分がどういう状態であれば幸せかをよく考える。年齢的なものもあるし、年収をずっと上げていくような生き方に息苦しさを感じるというのもある。「イノベーション・オブ・ライフ」には自分が大切なものに時間やお金を配分する重要性が書かれている。大切なものは人によって違う。まずは自分は何があれば満たされた気持ちになるのかを理解したい。
10年ほど前、近所に広島焼の美味しいお店があってよく通っていた。そこはカウンターだけの小さなお店だったが、たまたま隣に座っていた同世代くらいの方に話しかけられた。その人は絵本作家を目指しているらしく、良い絵本とはどういうものかを教えてもらった。彼曰く幸せの形は多様で表現が難しい。しかし不幸はある程度みんなイメージできる。なのでよく売れている絵本は不幸をあえてピックアップし、そこから解放されるような描き方をしているものが多いらしい。幸せを定義して目指すのは難しいので不幸をひとつずつ剥がしていく考え方。たまに思い出しては何かヒントをもらえているような気分になる。
普段生活していて、私たちは小さなストレスを細かく受け続けている。「仕事が本当に嫌いで出社したくない!」などの強いストレスは表面化するので対処されるが、細かいものはつい見過ごしてしまう。こういったものが少しずつ自分のエネルギーを削っていってしまう。自分は何が不安なのか?何を恐れているのか?落ち着いた場所で自問し、それを紙に書き出すと整理されて心に余白ができる。すぐに対応が難しいものでもモヤモヤの正体が分かればかなり気は楽になる。エネルギーは増やす必要はなくて私たちに元々ある。それを削っている要因に目を凝らすようにすれば、不幸から少しずつ離れていけるかもしれない。
ビルドインパブリックという開発手法
昨今のWebサービスは作ることよりも使ってもらう方が難しい。技術の進化により作ること自体はかなり簡単になった。小慣れた機能や美しいデザインも作れる。難しいのはサービスを知ってもらい、そして使い続けてもらうことである。
「ビルドインパブリック」という手法がある。これはリリースしたサービスの開発状況や改善の様子をXやブログで公開していき、それによりサービスのユーザーを増やしていく方法。自分の使っているサービスの新機能が出来上がっていく様子を知れるのは何となく面白い。リリース時点では機能が足りてなくても、その後すぐに追加されそうであれば利用を続けてもらえる可能性もあがる。そんな事情もあり、特にXなどでコミュニティが形成されている開発者に向けたサービスなどではビルドインパブリックがよく用いられている。
認知してもらうには継続的な発信が必要だが、自分の開発しているものであればネタには困らない。そういう意味でビルドインパブリックはよくできた手法だが、個人的には落とし穴もあるように感じる。開発で難しいのは後方の互換性を保つことで、新しい機能をリリースする際に他のシステムや過去データが壊れないように気をつけるのは思った以上に難しい。公に発信するとなるとトピックが欲しいので次々とリリースすることに力学が働くが、突貫で作ってしまうと負債になり後半の開発にブレーキがかかりだす。では作り込んでから一気に出せば良いかというとそうでもない。市場のタイミングを逃すリスクがあったり、リリースしないとそもそも反応がないので誰も必要としていないものを作り込んでいる可能性がある。結局はバランスということになり、どこに重心を置くかは開発チームの性格によって違いが出る。
日本だと有名なのはInkdropというサービスを開発しているTakuyaさん。開発の様子や考えなどを発信しながらファンを増やされている。見た目上はブログを書くだけなので簡単に見えるが、その内容が芯を喰ったものであったり、その人なりの考えがあって読み応えがあったりでないとすぐに人は離れてしまう。そして何よりまず魅力的なプロダクトがあるというのが大前提。そもそも価値のないプロダクトでは周りをどれだけ豪華に飾っても真に響くことはない。それに良いプロダクトであればそれ自体に宣伝効果がある(クチコミで広がる)。まずはコアのプロダクトに集中、そして次に広める。どちらも大事だが、順番があることは忘れないようにしたい。
AI開発はいちいち未来に思いを馳せて忙しい
AI激動期で変化が激しい。AIを上手く活用すれば誇張なしに10倍以上の速さで作れるということで、最近は作る対象そのものよりも「AIの活かし方」の議論が増えていると感じる。AIとのチャットだけでWebサービスを作ることを「Vibe Coding(バイブコーディング)」というらしい。細かいところは気にせずバイブスで実装する。世界中のコードから学習したAIは、バイブス任せでも自分より良い実装をしばしばしてくれる。
AIについて調べながら実装していると、未来の広がりに気を取られて目の前の仕事から意識が剥がされるというのがよくある。将来はこういうこともできそうだ、こういう世界もありそうだ等と考えるのはとても楽しい。しかし手を止めていては前進しないし、その妄想もどこまで実現するかは分からない。世界の研究や論文を追っていけば妄想の精度も高いかもしれないが、リリースされたサービスだけを見て先まで語っても核心にまでは辿り着けない気もしている。
今自分は「ビジョンを考える人」なのか「実装者」なのか、モードを切り替えて作業する。実装者のときはもくもくと作業する。ビジョンを考えるときはとことんまで広げる。実装を進めることでそのビジョンが本当に合っているか確認することにもなる。この2つはフェーズでは区切れず交互に訪れるもの。手を動かす、手を動かす、頭を働かせる。これくらいのリズムで作れば方向を間違えずに前進できる。
「朝1分、人生を変える小さな習慣」を読んだ
「朝1分、人生を変える小さな習慣」を読んだ。習慣に関する本はとても多い。みんな自分の習慣を変えたい(そして変えられない)のだろう。自分も色んな習慣本を読んでいる。単純なので本に書かれたことを気に入ってすぐ実践するが、3ヵ月くらいすると元の生活に戻ってしまう。でも3ヵ月は持つので、3ヵ月ごとに習慣の本を読めばそれなりに生活を整えられることが分かった。習慣本には共通する内容が多いけど、それはいつも自分に刺さってくる。
この本では人生を前向きにするための30個の朝の習慣が述べられている。印象に残ったものをいくつか書く。まずは「ポジティブシンキングするよりも、物事を軽く受け止める練習をする」というもの。前向きに考えるのは良いことだが、ポジティブシンキングをしなければいけないと思ってしまうと事実を歪めて認識することになる。本当は自分は辛いのにポジティブで覆ってしまう。表面は明るいけど内面では落ち込んでいる。こういうズレが自分を疲れさせてしまう。軽く受け止めるというのは、簡単にいうと「そういうこともあるよね」で終わらすこと。ミスして上司に怒られた。そういうこともある。上司に怒られてムカついた。そういうこともある。誰かにムカついているネガティブな時間はやめよう!人生をハッピーに!とはベクトルが違う。ただ受け流す。物事をありのままに捉えられることが心の平穏を生む。
次に、何かに取り組むことについて。うまくなりたいことは数多くある。それなのにすぐ諦めてしまうのはなぜなのかか?考えてみると、その根底には人よりも早く成果を挙げたいという欲がある。競争社会で育った私たちは無意識に人と自分を比べてしまう。最短で最大の成果を出す「ハック」を探してしまう。物事に取り組むことは時間がかかる。他人と比べず、日々コツコツと自分のペースを保って取り組むのが良い作法。
最後に、自分の中の小さな子供について。大人になっても自分の心の中には小さな子供がいる。何かをやって褒められたら嬉しくてもっとやるし、厳しい評価をされたらやる気をなくして拗ねてしまう。内なる声を聞けるのは自分しかいない。自分がかけて欲しい言葉を考え、それを自分にかけてやる。自分がやったことを過小評価しない、卑下しない。頑張ったところはちゃんと自分で認めてあげる。他人に自慢ばかりしていると品位が下がるが、自分に声をかける分にはいくらしてもしすぎることはない。