Feedback Loop
成功も失敗も、自分と会社で50:50
『「能力」の生きづらさをほぐす 』を読んだ。何かあったときに個々人の能力値に問題が帰結されがちだが、その能力って何なの?を紐解いていく本。社会人になりたての息子の悩みに対し、教育学を専攻し組織開発の仕事を長年してきた著者が答えていく物語形式。例えばある会社で活躍できなかった人が、転職先ではエースになる。能力というと絶対的なスキルに思えるが、実は環境とのマッチングの要素であることが語られる。
会社で仕事をしていて、その仕事の成否がすべて自分の手にかかっていることはほとんどない。会社の他の部署や取引先、業界のトレンドや時代など目に見えないたくさんの変数があって、自分の仕事はその一部にすぎない。評価も同じ。組織になると評価はつきものだが、その評価の尺度は企業や組織によってまるで違う。活発に意見を言うことが、あるチームでは歓迎され別のチームでは煙たがられる。その人の能力や性質は変わっておらず、周囲の環境が評価に反映される。評価は水物だがずっとそこにいるとそれが分からなくなり、評価が低い = 自分の能力が低い と考えてしまう。
一方で、変数の一部に過ぎないとはいえ自分の仕事も立派なひとつの変数である。仕事がうまくいかなかった時に環境のせいにするのは簡単だが、それでは改善の余地を逃すことになる。ちょうど良い考え方として、「自分と会社で50:50」というのを掲げたい。活躍しても自分個人の力ではないし、仕事で失敗したらその責任が完全に自分にあるわけでもない。浮き足立たず、他責にしすぎないために50%は常に自分の領分だと思っておくのはちょうど良い。
最近はプロダクトマネージャーとして働いており、これは管理職に近い。エンジニアと違って「これが私のスキルです」というのは示しづらくなった。良いWebサービスが作れても、それはエンジニアやデザイナーなど実際に手を動かしている人の手柄であるべきだ。じゃあプロダクトマネージャーの評価はどう測られるかというと、「どんなサービスを手掛けたか」で見られることが多い。GoogleやAmazonで働いたり、新進気鋭のスタートアップでの経験があると評価が高くなりやすい。しかしそれは会社に個人の評価が紐付き過ぎている気がする。その環境で個人がチャレンジしたこと、どんな課題解決に取り組んできたかなど、行動ベースで自分の実績は振り返るようにしていきたい。
ひとり遊びが上手くなった
最近はひとりの時間でも楽しめるようになった。本来は誰かと一緒に何かをするのが好きで、食事でも旅行でも気心知れた友達と行きたいと思っている。ただ年齢があがるにつれて家族を持つ友人が増え、そうなるとなかなかタイミングを合わせるのが難しくなる。余暇をひとりでどう楽しめるかは人生のポイントになった。
前職を退職するときの有給消化期間、一人で一週間ほど京都に行くことにした。その時に買ったのがFUJIFILMのX100V。カメラ好きの友人に相談して買ったのだがこれが一人遊びの入門になった。カメラはISO感度やシャッタースピード、焦点距離など一枚撮るにも変数が多い。私はまったく知識がないので一つ一つ試しながら覚えていくしかない。その時間がかかりすぎるオプション選択が没頭させてくれた。
そもそも誰かと一緒が好きなのは、旅行で美しい場所に行っても一人だと感動を分かち合う相手がいないのが寂しいから。おいしいご飯を食べたら「これおいしいね」と言い合いたい。共通することでよりその場を楽しめるし、後から思い出として話せるのも楽しい。カメラの設定を工夫しながら撮るのはこれに近い部分があり、自分のイメージ通りに撮れるよう試行錯誤している間は目の間の風景を何度も楽しめる。
以前はフィルムカメラを使っていたが、フィルムだと現像しないと撮った写真を確認できない。一発勝負の面白さはあるが、上達したいならフィードバックの間隔は短い方が良い。デジタルカメラだと撮ったその場でデータを確認でき、試行錯誤がしやすいのが良い。また、X100Vはデジタル一眼ではなく、コンパクトデジタルカメラのすごい良いやつという位置付けらしい。レンズを取り替えることができないが、その分コンパクトで持ち運びやすく、旅行の荷物に加えやすいのも気に入っている。ここが絶景ポイントです!みたいな場所よりは散歩中になんとなく自分が気に入った風景の写真を撮りたいと思っているので、持ち運びやすさは大事なポイント。
カメラに入門したのをきっかけとして、美術館に行ったりカフェに行ったり、一人でいろんなことをできるようになった。一人で飲み屋にもたまに行く。その場合はお酒を飲みながら本を読んだりと自由に過ごす。友達と行くときはレビューを調べたりして良い店を選びたいが、一人のときはよく知ったチェーンの方がゆったりできる。チェーン店には客を放っておいてくれる気楽さがある。
ひとりで楽しく過ごすこともできるが、やはり本当は友達となんでもない話をしているのが一番楽しい。大人になってからの友人関係は意識的に動かないと薄れていく。自分から連絡したり誘ったりして機会をつくり、好きな人とは関係性が続くようにはしていきたい。
孤独な夜の過ごし方
どうにも寂しい夜の過ごし方。本を読む、日記に考えてることを書き出す、散歩に出る、人に頼る。本の種類は何でも良いが、技術書やビジネス本よりは小説やエッセイが良い。本に目的がありすぎると昼の思考になる。夜はもっと間接的で良い。
エッセイは誰かの考えや生活に触れられる。いろんな人がいろんな場所で考え事をしてるんだなと理解することは、何かに囚われた気持ちを解放してくれる。小説はストーリーテリングで物語の世界に没入させてくれる。映画やアニメよりも想像力が求められるので他のことを考える余裕などない。寝る前に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読み進めてから寝ていたときは心身ともに調子が良かった。そういうハマれる小説を常に探している。
モヤモヤで苦しいとき、逃げずに逆に向き合う。本当の悩みは考えないようにしてもすぐに戻ってくる。文字にして書いたり、散歩しながら独り言をつぶやいたりして自分が何を嫌に思ってるのか、何をずっと考えているのかを洗い出す。モヤモヤの根本原因が分かると意外に楽になる。人間は1日に3万回以上考えるが、その9割は無意識らしい。原因が何か掴んでおかないと、無意識でもモヤモヤに触れ続けてしんどくなる。
夜寝れなかったり、生活リズムが崩れても仕方ないと割り切る。人生長いのでそういう日もある。深夜にお風呂張ったり、アロマキャンドル焚いて本読んだりしていつもと違う感じを逆に楽しむ。個人でいろいろ工夫してみて、それでもどうしようもなかったら友達を頼る。変に別の理由をつけず「話を聞いてほしい」と呼びかける。1-2時間くらい話せば楽になる。この時誰に声をかけるかが大事で、自分の意見をグイグイ押してくる人は適してない。一緒に悩んでくれるタイプの人も深く落ちてしまう。話は淡々と聞きつつも、たまに相槌や笑いを挟んでくれる人だと一番素で話しやすい。
ひとりの時よりも、誰かといる状態から引き算されてひとりになった状態の方が寂しい。それは家族でも友人でもパートナーでも同じ。ひとりそのものが寂しいというよりは、喪失したという感覚がより孤独を感じさせる。今は苦しくても明日はどうだろうか?1ヵ月後はどうだろうか?1年後、10年後は?こうして時間を未来に飛ばしながら考えていくと未来の自分は笑顔である。孤独が永久に続くのではなく、ちょっと長いけど一時的な状態であることが分かれば耐えられる苦しみになる。
日記を本の形にしてみたら
今日で今の会社で働いて丸3年らしい。それまで新卒からずっと同じ会社で働いていたので変化を恐れる気持ちもあったが、いろんなことを経験できたので転職して良かった。職種を変えたことで手を動かすより考える時間が増え、それに伴い興味関心など自分の理解も深まった。
この日記も3ヵ月以上続いていて、そろそろ過去に何を書いたか振り返りたくなってきた。サイトに検索機能をつけても良いがもう少しアナログにしたい。3ヵ月ごとに本の形にまとめると面白いのではないかと思って最近調べている。電子書籍ならEPUBという形式に変換すれば良い。印刷する場合もEPUBにしておけば何かと取り回しが利きそうなのでまずはここを目指す。WebサイトはHTMLという技術で作られるが、EPUBはその変化系で基本的な部分は共通している。試行錯誤しながら読みやすいデザインを調整している。
確認がてら自分でパラパラと読み返すのだが、めっちゃ自分のことなので面白い。当たり前だがどの日の日記も自分が当事者。内容を覚えていない回もあるがそれも自分の考えの確認になって良い。気になったのが締めの言葉で、「〜していきたい」とか「〜と思っている」みたいな、総括っぽい表現が繰り返されている。ビジネス文章では最後にまとめがある方がメッセージが伝わりやすいが日記では必要ない。無理にまとめず、問いやモヤモヤを抱えたまま終わっても良い。
本といえば、最近知人のYamadaさんがZINEを作って売っている。「乱読の地層」という書評本で、エッセイ・ノンフィクションのカテゴリから50冊分のレビューが読める。読書欲が高まったときはYamadaさんのおすすめから読むことがあるが、かなり高確率で刺さるのでありがたい。乱読の地層も読ませてもらい紹介されてる未読本を5冊ほど購入した。ちなみにZINEで紹介されてた中だと、「牙」「サイボーグになる」「継続するコツ」あたりが好き。
Yamadaさんの本はメルカリShopsで購入できる。メルカリなので匿名配送。こういう使い方もできることに驚いた。今週末の日曜日には文学フリマでリアルでも売るらしい。植本一子さんのブースで一緒に売るらしくまさにインターネットドリーム。会場は東京ですが、気になった方は行ってみてください。
Duolingoを始めて50日経った
食わず嫌い気味だったDuolingoで英語学習をするようになって50日経った。毎朝仕事前に15分ずつやっていて、ここまでは絶やさず毎日続けられている。そして今後も続けていけそうな感覚がある。
気に入っている部分をいくつか書いてみる。例えば英語の文法を学ぼうと参考書を開いてみると、過去形や関係代名詞など、文法のエッセンスが章ごとに分かれていて一つ一つ説明されている。これは勉強する分には良いが、もちろん普通の会話ではこうやって区切られて登場することはない。Duolingoは過去形のセクションでもそれとはまったく関係ない以前学んだ内容が出題されたりする(気がする)。間違えた問題は正解するまで何度も出題される。この回数をこなしながら学んでいく方法は実際に英語を使いながら習得していくのに似ているんじゃないだろうか。座学でばかり学んできた自分にとっては新しい感覚を覚えている。
オンライン英会話のNativeCampを少々やっていたが、英会話だと会話が進むことが重視され文法が間違っていても立ち止まって確認しづらい。ティーチャーの言っていることが分からなくてもなんとなく誤魔化せてしまう。実際の会話もそんなものかもしれないが、英語力をあげたい立場からするとあまり適していない。元々ディクテーションをやりたいのがDuolingoを選んだモチベーションだったが、英語を一単語ずつすべて聞き取り書き出すのはとても勉強になる。"a"とか"that"とかかなりの頻度で聞き逃すし、文法の知識含めてリスニングが向上している実感がある。
ややネガティブ要素に考えていたゲーミフィケーション的な要素だが、すっかりハマってしまった。5問連続で正解したときに鳥が跳ねると嬉しいし、XPが2倍手に入ると言われたら少し英語の時間を伸ばしてしまう。連続50日!みたいな賑やかしがあり、それを途絶えさせたくないという思いで毎日最低1レッスンはしようとアプリを開く。ひとつレッスンをすると気づけば3つ4つやっているもので、こんな感じで習慣が作られた。今はiPhoneのホーム画面とロック画面にその日レッスン済みかどうかわかるウィジェットを置いていてすっかりファンである。ちなみにXPによるリーグ?みたいなのはまったく意味が分かっていない。いろんなリーグに勝手に参加させられてそこで順位があがっていくアニメーションを見せられる。意味はわからないが、それすら好意的に感じている。