AIについて考える 2025年10月30日
最近のAIについて書きます。
開発にコーディングを取り入れるのはかなり一般的になっている。Claude Code一強の時代は終えて最近はCodexが人気。しかしCodexは思考時間が長いのがネック。自分はClaude CodeのMaxプラン(月額100ドル)を使っているが、Rate Limitによくかかるようになって乗り換えを考え始めている。エディタとしてはCursorが優秀に見える。
AIコーディングは多くの会社で取り入れられているが、その限界も同時に見えてきている。例えば質の低いコードを追加していくことで後の改修が大変になってしまう。そうならないように人間側のレビューを慎重にしたり、AI用のガードレールが発達したりしている。ガードレールとは例えばこう指示したら良いという簡単なものから、コードの品質をチェックするスクリプトを作ってそれをAIに実行させるといったものまで幅広くある。
社内での活用を推進するような動きも見えてきている。開発スピードだけでいうとAIで10倍くらいになるポテンシャルがある。上記の品質の問題はあるが、モデルの性能があがるにつれ半年〜1年で解消する可能性がかなりある。そうなるとAI活用を前提にした組織にできていると強い。具体的な動きとしては社内のエンジニアで情報交換をしたり、利用量を測定したりといったものが多い。
一番注目しているAIアプリケーションの領域は、いろいろ出てはいるが玉石混合でよくわからないというのが正直なところ。既存サービスに無理にAI機能をつけたものはほとんど使われない。AIならではの魅力を取り入れたアプリは素晴らしいが、モデル提供者の本家がその領域に手を出すと軒並みやられるという弱点もある。大手が手を出せないようなニッチな領域で出せると強い。元同僚が作っている「スイフトアイ」は視覚障害者向けのiPhoneアプリで、写真に撮ったものをGeminiが説明してくれるというもの。使い勝手や説明の良さなどがあいまって評判で、こういうAIアプリがたくさん出てくると世の中が便利になる。
世の中全体でいうとまだまだAIは過小評価されてるというか、Soraなどが出てちょっと驚きのタネになる、くらいに留まってる気がする。海外とかだともっと焦って会社内部を作り替えてるという話もあるがどこまでのものなのか。数年後には確実にwith AIの時代になってると思うので、今できることではなくどういう未来を生きたいかをたまに考えると良いかもしれない。
久しぶりにゲームした
読書メモの置き場をNotionに引っ越した。読書は物理本に線を引くスタイルでやっていて、一冊読み終わったら線を引いた部分だけをパソコンに打ち込んでメモしている。BookNotionなどの便利なサービスがあることは知っているが、アナログ派というか、打ち込むときにもう一度自分で文字をなぞる体験が大事な気がしている。このブログでも読書メモのコーナーを作っているのでよかったら覗いてみてください。
秋の夜長ということで、タンスにしまっていたゲーム機を引っ張り出してスプラトゥーン3を遊ぶ。最初の2分くらいは楽しかったが4連敗してゲンナリ。覚悟の5戦目で無事勝利したが画面酔いして終了。全盛期は6時間くらい連続でやってたのに衰えている。Nintendo Switchはフレンドがどのソフトを何時間プレイしたか見れる機能があり、以前遊んだときに同僚がスプラを1000時間やっていて驚いた。1000時間あれば英語喋れるようになりますけどね、などと軽口を叩いた後に自分の画面をみると1500時間やっていた。スプラ2も同じくらいやり込んでいたので、ゲームがなければ今頃トリリンガルになっていたかもしれない。
最近は何だかボーッとしてる感じで、なにかが生活の中に足りてない気がする。ただ毎年この季節にそう思ってる気もしており、そうだこういう時こそ日記の出番だと思って去年の日記を読み返してみると「朝から動くと1日を2回過ごせる」みたいな高尚なことが書かれていて笑った。去年の自分めっちゃ元気である。今ちょっとしんどいのは理由はなんとなく分かっているが、良い解決策がなかなかなく抱え過ごしている。ダウナーな時期は定期的にあるので耐えたい。頑張りすぎずに自分の体が求めることをしたい。
少し上の目標に挑む
入院や手術の話を聞くと身が縮こまる。痛みが苦手、というよりは痛みへの怖れが年々増している気がする。歳を重ねると必ず体調は落ちていくもので、その時が来るのが怖いような気がするが、いろいろ状況も変わるし今から心配するのも違うな。ここでいう状況とは医学の発達とかではなく、周りの友達も同じようにどんどん体が悪くなっていくだろうなということをイメージしている。みんなで渡れば怖くないではないけど、不安や悩みを共有できるのは気持ち的に大きい。
健康の話に比べると、普段悩んでること(「仕事とプライベートのバランス」とか「Webサービスの仕様」とか)は小さな悩みのように思える。健康な体があってどこへでも行ける、これだけで本来はもう100点だ。しかしそれを当たり前と感じているのでさらなる望みを持つ。いい仕事をしたいとか、充実したプライベートを送りたいとか。人間は今ある地点よりも少し上の目標に挑み続ける生き物なのかもしれない。上昇志向を持つのは良いが義務感が出てくると辛そうだ。
京セラ創業者の稲森和夫さんの「生き方」という本に「磨き砂」という考え方が出てくる。自分なりの解釈になるが、人生には苦楽があり、幸せなときと不幸なときと上下する。しかしその都度よく考えて一生懸命取り組むことが大事で、その一連のプロセスが磨き砂となり、自分の魂を洗練させていく、みたいな意味だと理解している。
楽しいこともあればしんどいこともある。今は自分も家族も健康でいれるが、いつ状況が変化するかは誰にも分からない。未来を恐れれたり過去を悔やむのではなく、いまの自分の感じ方を重視できたらよい。もちろんこれは理想で実際は心配したり後悔したりしまくりの日々を送ってる。でも理想はその状態、くらいは覚えておいていい。
気軽に買ったグミが246円
コンビニで気軽に買ったグミが246円。昔は100円くらいだったのに、時代は変わりましたね。
最近の注目グミを書いておきます。ロッテの「カジッテ」は噛みごたえハードの果実系グミ。ハード加減でいうとTOUGHグミよりちょっと柔らかいぐらいで、果実の味わいがあってかなりおいしい。ハード系と果実系の王道ふたつのミックスで可能性を感じる。TOUGHグミの牙城を崩せるか?
もうひとつ、ノーベルの「シンサワーズ」。その昔一世を風靡したサワーズのリニューアル版。ハード系の境地を開拓したのはサワーズ(のグレープ味)と記憶してるが、そこからハードの流行に乗り切れず近年はカメサワーズという亀をモチーフにした謎の方向に進んでいた。この度、満を持してサワーズの系譜はそのままに酸っぱさやハード感を調整して新登場。あの栄光の時代を再び、Back to the basicなるか?
昔グミについて調べたとき、果汁のバランス的にグレープ味が一番作りやすいという話を読んだ。そう言われてみると確かに新作のグミはまずグレープ味の商品が発売されている気がする。今回のカジッテとシンサワーズもどちらもグレープ味がある。
20年くらい前は仕事の合間にガムを噛んでいたのが、最近はそれがグミに置き換わっているらしい。メーカーも机上に立てて置けるように底のマチを広げたり、かわいいパッケージにしたりしてるとか。噛むと集中力がアップする効果もある。今日も仕事をしながらハード系グミを噛み、アゴをバキバキ鳴らしています。
「LOVE TRANSIT 3」が面白い
「LOVE TRANSIT シーズン3」が面白い。
LOVE TRANSITはAmazon Primeで配信している恋リア番組。最大の特徴は参加者は元恋人と一緒に出演していることで、つまり10人の参加者は5組の破局したカップルということになる。新しい恋を探す人もいれば元恋人とヨリを戻したい人もいる。あるいはしこりの残る別れ方をしてしまっていて、その精算を番組を使ってやろうという参加者もいる。これが他の恋リアと一味違って面白い。
演出面でいうと時系列のカットが多用されるのも変化がある部分。例えばバチェラーとかだと冒頭から1日目、2日目…という感じでシーンを見せていくのに対し、ラブトラは6日目くらいに急に過去のシーンが明らかになったりする。実はこの人こういう動きしてましたよ、みたいな。観ていて「この人は〇〇だなぁ」と思っていたら急に裏切られることが多々あり飽きずに見られる。
とはいえ見たいのは「リアリティショー」であって、恣意的な編集が多用されると逆に味を損なうことにもなる。実際シーズン2ではシーンの切り取り方によって無理やり感情を動かされたことがあった。意図的に悪く切り抜くことを「悪編(あくへん)」と言ったりするが、これにより特定の参加者に嫌悪感を抱くようにコントロールされていたように思う。最終的には良い方向に裏切りがあるのでプラス方向の演出にはなるが、なんだか「こう思ってくださいね」と番組から押し付けられたようでしんどいものがあった。
シーズン3は今のところそのバランスが良い感じに取れていて見やすい。今は中盤でそれなりに動きも出てきている。過去シーズンでは元恋人とヨリを戻しそのまま結婚したカップルも3組くらいいる。番組で付き合ってもすぐ別れる、というのが続きすぎると段々白けてしまう部分があると思うが、その点LOVE TRANSITはリアルに近い番組かもしれない。