Feedback Loop
伝え方のプロは相手の理解度に合わせて説明する
説明が分かりやすい人と分かりにくい人がいる。伝え方が良いと話が頭にスッと入ってくるが、伝え方が悪いと自分の脳内で整理しながら聞く必要があり必要以上に疲れたり、場合によっては意図を履き違えて理解したりしてしまう。この違いは何によるものだろうか?
社会人になりたての頃は、そのトピックの知識が豊富なら分かりやすい説明ができるのかと思っていた。しかし専門家と呼ばれる人が必ずしも説明上手なわけではない。その分野を学び始めでも良い質問を連発し、相手の意図を正確に理解できる人もいる。知識量とは別のところに工夫がありそうだ。
紐解いてみると、「相手の理解度をみて話しているか」は説明上手な人に共通している気がする。例えば会議で話すとき、参加者のトピックへの理解度はバラバラなことが多いであろう。ある人は長い間その問題について議論してきていて、ある人は最近チームに入ったばかりで経緯や課題感を分かっていない。こういう状態でいきなり本題を話しはじめると、大抵はベテランの人だけが話すことになってしまい新人は議論に参加できない。複数人で会議する意義はいろんな観点からその物事を見れることなので、参加できないメンバーがいるのは勿体無いことだ。
説明上手の人はどうするか?まず会議の参加者の事前の理解レベルを揃えることから始める。それは経緯を話すことであったり、前回までの議論を要約して伝えることかもしれない。解決したい課題を明記することかもしれないし、その会議のゴールを設定することかもしれない。手段は無数にあるが、「理解度を揃える」ことを意識する。この時間はそこまで時間がかからず、会議の冒頭5分くらいで十分できる。あるいは事前に参加者にメモを展開しておけば読んできてくれるかもしれない。たった5分で議論の質があげられるのならやらない手はない。
芸人が話す言葉に「前フリ」というのがある。ボケや一発芸の前のアクションのことで、前フリにより今からやるボケがより厚みを増して面白くなる。話の流れの演出と言い換えても良いかもしれない。本題の前に流れを作るという意味で、理解度を揃えるのはこの前フリによく似ている。前フリは重要だがあくまで本題のための事前作業なので、ここに時間がかかりすぎてもよくない。会議では経緯や歴史を延々と話す人がいるが、それは本題の時間を削ってしまうので説明のプロではない。理解度を揃えることにフォーカスし、最速で前フリするのが重要である。
理解度を揃えることが大事だと書いてきたが、出発点は相手の理解レベルを知ることだ。これは普段からの観察や対話により解像度をあげていくしかない。逆の立場で考えると、自分の理解度を周囲に伝えるのは良い動きだ。自分が学んでいること、分からなかったことをシェアしたり、会議中に疑問に思ったことを素直に質問する。面接や社外の人との会議など初対面の場では自分の出自を簡単に自己紹介するのも良い。「エンジニア出身です」と一言添えるだけで相手は技術用語を使って良いことを理解する。説明が上手い人は話が早く、そういう人は相談して変なことにならないので気軽に話しかけられる。これは目指す到達点の一つである。
キリの悪いところでやめる
その日の仕事を終えるとき、キリの良いところまで進めて止めがちである。ただ、実はキリの悪いところで切り上げた方が翌日仕事を再開しやすい。
プログラミングならエラーになる状態で、デザインなら3分の2くらい詰めた状態で止めておく。そうすると翌日何から始めれば良いか明確なので、いきなり作業モードに入れる。キリの良いとこで終えてると何から着手するかをまず考える必要があり、動き出すのにエネルギーが必要。最初のステップをなるべく低くしておくと入りやすい。
「君たちはどう生きるか」にもあったが、人間は同じことをやり続けたい生き物だ。ゲームを始めればゲームをやり続ける。勉強を始めれば勉強をやり続ける。最初の一歩を踏み出しやすく設計することは理に適っている。
一日寝かせるという効果もある。革新的なアイデアが思い浮かんだと思っても翌朝改めて考えると何でもなかったりする。落ち着いて見つめ直すことは普段の仕事にも有効で、日を跨いで仕事をすることで振り返りのチェックポイントを作る。前日の仕事を別の自分がレビューする。
一日の終わりだけではなく昼休みや細かい休憩でも中途半端な状態で手を止めるのは有効。最近は健康寿命を伸ばしたいと思いストレッチや運動を1時間に1回くらいのペースでやっている。休憩の回数が多いほど滑らかに再開できるかどうかは全体の仕事に影響してくる。
時間をどう使うかが誠意の表れ
読書中に話しかけられる。このとき本を閉じて話を聞くこともできるし、曖昧に返事をして読書を続けることもできる。話の内容や関係性によっても変動するが、何を大切にするかとは時間の使い方だというのは覚えておきたい。
最近友人の勧めで「愛を伝える5つの方法」を読んだ。著者はベテランの結婚カウンセラーで、いろんな夫婦やカップルを見てわかった人間関係の秘訣を書いている。愛とは燃え上がるような恋愛だと思っている人が多いが、出会った当初の初期情動には期限があり2年ほどしか保たない。良い関係を築くにはこの情動が落ち着いた後の行動こそが重要で、行動とはつまり選択により愛を示すこと。相手のための時間を優先することが愛の示し方である、と書かれている。
上司と部下が仕事やプライベートな話を定期的にする1on1という文化がある。部下のための時間と銘打たれているが、実際話を聞いているフリをして別の仕事を考えたり作業したりはできてしまう。ヒエラルキー的に上司は強い立場なのでそれを指摘する部下はいない。しかし、ちゃんと話を聞いてくれてるかどうかは必ず伝わる。今後何かで悩んだときにその人に相談することはないだろう。一方、仕事で忙しいのに自分のために時間を作ってくれ、パソコンを閉じてしっかり向き合って話を聞いてくれる上司もいる。申し訳なく思いつつも、自分が大切にされるのはやはりうれしい。その人に出会えたことに感謝するし、自分もこうありたいと思わせてくれる。相手への気持ちは行動に出る。
自分は誰かといるととても気を遣ってしまう。なので冒頭の読書の例だと、話しかけられたら毎回読書を一時停止する。むしろ話しかけられそうなときは最初から読書をしないまである。趣味のプログラミングでも同じようなことをしていて、細切れの時間ではあまり進まないから、それならもういいやと創作自体をやめてしまうことがある。相手にすべての時間を注ぐのは一見良い関係性を演出できるが、自分の大事なものを犠牲にしてばかりではそれもまた長続きはしない。一人になれる時間を意識的に作って自分を愛でる時間を作りつつ、誰かと一緒にいるときは相手との時間を尊重する。そんなバランスが目指すところかもしれない。
スマホのない時間をつくる
先日友人のPodcastを聴いていると、昔は地下鉄で携帯の電波が届かないエリアがあり、その区間では本を読んでいたという話をしていた。今ではどこでも繋がるのが当たり前に思えるが、確かに数年前はあの路線は電波が悪い、みたいな話をしていた気がする。どこでも繋がるのは便利さを追求した結果だが、それがスマホ依存を加速させていたりしてもう自分には何が正解かはよく分からない。
iPhoneが流行り出した頃、スマホアプリといえばコミュニケーションやツール系のものが多く、日常を便利にするための機器だった。そこから数年経つとゲームアプリが台頭し、ソシャゲやガチャなどが社会的に熱を帯び、マリオなどの人気タイトルもスマホで遊べるようになる。私はiPhoneのアプリを作る仕事をしていたのでAppleの発表は毎年よく見ていたが、この頃はゲームのための機器としてプレゼンされるシーンが多かった。
もう少し時間が経つと次は動画で、みんなYouTubeを見るようになった。これは通信速度と通信容量(ギガ)の改善が大きく寄与しており、外出先でもスマホで動画を見ることが当たり前になっていく。YouTuberという言葉を初めて聴いたのは2013年。その頃YouTubeは「好きなことで、生きていく」というコピーで大きくプロモーションしており、働いていたビルの商業エリアでイベントが開催されていた。自分はまったく知らなかったが一緒にいた先輩はいつも見ていたらしく、その面白さや魅力を教えてもらったのをよく覚えている。
現在では動画もさらに改善され、ショート動画というスキマ時間によりフィットする形も発明された。エンタメはツールの利用よりも基本的に時間を使う。世のトレンドに身を任せているとまとまった時間をつくるのは難しいので、意識して空白をつくる必要がある。食事中は視界に入らないところにスマホを置く、電車では本を読むかDuolingoをする、寝る時は寝室にスマホを持ち込まないなどを実践してみる一方、お風呂でスマホを見ているときもありまるで一貫していない。最近はスマホから離れたくなったら岩盤浴に行っていて、これはかなり良い。ただ、浴室内にスマホをこっそり持ち込んでスタッフに注意されている人などもいて、スマホ中毒の恐ろしさに改めて気付いたりもしている。
はみ出すデザイン
個人開発のデザインは自分で考えることが多いので、自分なりにこうすれば分かりやすい、という思考ができてきた。しかし最近それはレイアウトや整理整頓的な部分であって、「魅せる」デザインはまた別の道があると感じている。
アプリやWebサービスの中身でいうと、機能やそれを使って実現できる体験に価値があり、ボタンやテキストはあくまでそれを補助する役割だ。各部品が目立つ必要はなく、必要なタイミングで「次このボタンを押してね」と自己主張するくらいで良い。一方でサービス紹介ページやキャンペーンページは人の注意を引く必要がある。それはダイナミックな配置であったり大きめのアニメーションであったりするが、これはまったく経験がなくて難しい。
発表スライドのレイアウトやWebサービスのデザインでは、一貫性や規則正しさが求められる。注意を引くためには逆で、はみ出し感が必要。四角形や丸で囲った枠から人の写真をはみ出させる、画面スクロールにあわせて要素をアニメーションつきで登場させる、背景の区切りを真っ直ぐではなく斜めや波線で示す。同じデザインという呼び名で括られるが求められる力は別で、ひとつ自分が学ぶべき分野があったな、という感覚。
そしてデザインをはみ出させて気を引く技術は、Webサービスを使いやすくするデザインにも活きてくる。使いやすさとはメリハリで、パッとその画面を見た時にどこに注目すれば良いか一瞬で分かることだ。優れたデザインは色や形、コントラストで視線を適切に誘導するが、このはみ出しもそれに一役買える。アニメーションで注意を引いたりグラデーションで主役を際立たせたりする。使いすぎるとゴチャゴチャしたサービスになってしまうが、ピンポイントで使えば効果的。特にさりげないアニメーションは手触りの良さや空間の心地よさに直結していると最近よく思うのでこの分野はちゃんと学びたい。
シンプルな中にもワンポイント魅せる要素がある。マニュアルを読むことなしに適当に使ってたら使えて、詳しくなると高度な機能も理解できて使いこなせていく。そういうデザインを目指したい。