Feedback Loop
どんなエンジニアになりたいか?
Webエンジニアという職業はいろんな道がある。会社では組織づくりに進むマネージャーキャリアと専門スキルを磨くプロフェッショナルキャリアが用意されていることが多いが、一人一人の活躍の幅はもっと広い。GitHubでOSSライブラリを作る、コミュニティの勉強会で登壇する、海外企業で働く、自分のプロダクトを作るなどいろんな選択肢がある。
私はまわりに影響を受けやすい。勉強会ブームの頃は会社の勉強会を企画したり社外勉強会に意欲的に参加していたし、有名なOSSライブラリの作者に会えばそれに憧れて自分なりのライブラリを作って公開してみたりもした。社内で尊敬する先輩がサービス責任者をやればそれっぽい動きをしてみたりと節操がない。今思えば自分は絶対その道ではないと思うことも、好奇心のままに試してみた。
印象に残ってる会話が二つある。ひとつは私が3年目の頃、後輩との会話で「ひまらつさんはどういうエンジニアがカッコいいと思いますか?僕はGitHubでスターをたくさん稼ぐ人がカッコいいと思ってます」と言われたとき。その頃の自分は憧れた全員になろうとしていたので、自分なりに目指す道を決める必要があるんだな〜という当たり前のことに気付かされた。もうひとつは数年前の友人との会話で、そのとき私は海外で働くことに憧れがあった。専門スキルを磨いて海外で働くのカッコいいよねと私が言うと、その友人は「そう?俺は自分のプロダクトで食っている人がカッコいいと思うけど」とすぐに返した。
どの道でも目に留まるのはその方向でうまくいった人で、その活躍は輝いて見える。引力があり真似したくなる。ただ自分がそうなれると幸せかというと微妙で、そこに行き着くまでには相当な努力が必要だ。その努力が苦じゃないか、楽しめるかが自分に向いてる道かどうかだと思う。幸せはどこまでいっても自己的なものでしかない。他人からの評価が高まると何かに成功した気分になるが、翌日にはその評価の上下に怯えることになる。自分の好きなことに夢中になっていれば周りがどう評価しても気にせず打ち込める。
自分がどんなエンジニアになりたいか?考えてみると、やはりWebサービスを作るのが好きだなと思う。企画やデザインを考えて自分で実装する、この一連の作業が楽しい。これは夢中になって打ち込める。そんなことを考えながら先日ネットサーフィンしていると、とあるサービスで、社会人になりたての頃に作った自分のアカウントが見つかった。アカウントには自己紹介を書く欄があり、そこには「たのしいものをたのしんでつくる」と書いてあった。周囲の状況や業界のトレンドは変わるが、自分が大切に思うものは昔からそう変わらない。
瞬間的に憧れることが少なくなった
私は人に憧れやすい性質で、一緒に働くデキる人や業界で活躍している人をいつも羨望の眼差しで見ていた。だが最近はちょっと変わってきていて、ひとつの出来事ではなかなか判断できないな、と感じている。
例えば何かのサービスを作ってそれがバズったとして、大事なのはその後ちゃんと良いものに磨いていき数年後も愛されるサービスであること。例えば何か素晴らしい仕事をしたとして、大事なのは環境や時代が変わっても同じように活躍できるかということ。その瞬間の「点」ではなく、連続した「線」で評価したいという気持ちがある。
こう考えるようになったのは、社会人として十数年過ごした時間の長さによるものだと思う。色々な人や物事がバズっては消え、またバズっては消えていく。世間は新しいものを求め、すぐにそれを消化して飽きていく。コロナ禍にClubhouseというサービスが流行ったが今私の周りで続けている人はいない。一世を風靡したFacebookですらもう見なくなった。その時代を象徴するサービスを作れたことは偉大なことだと思うが、過去ほどは憧れなくなってきた。
「人生後半の戦略書」という本を最近読んだ。優れた仕事をした作家や研究者はたくさんいるが、彼ら全員が幸せだったかというとそうではない。職業のスキルは30代後半から50代前半にかけて落ち込む傾向にあり、この時期は若い頃の自分を超えられない葛藤に苦しめられる人が多いそう。早い時期に大きな成功を収めた人ほど影は大きくなり、富と名声があっても人生の幸福度は低くなってしまう。本の中ではそれを避けるために無防備な自分をさらけだしたり、深いテーマについて話せる少数の友人を探したりなど具体的なアドバイスが紹介されている。
業界で華々しく活躍する人に無条件で憧れることが減った一方で、身近な人のことをよく見るようになった。自分の好きを継続している人、価値観をアップデートし続けている人、自分のスタイルを確立している人。世の脚光を浴びずとも良い仕事をし続けてる人はいて、そういう人には相変わらず憧れて影響を受けている。それは健全な羨望ともいえそうで、自分一人では凝り固まってしまう頭に良い刺激を与えてくれる。
センスとロジック
センスとロジック。何か良いものを見たとき、それを分析するまでもなく良いと感じる。まず最初に良いと感じ、その知覚の後にはじめて言語化として良い理由や特徴を挙げることができる。
Webサービスを作るときは感覚と論理の両方の脳が必要になる。心地よいアニメーションをつけたり、居心地が良いと思える空間づくりは感覚的に。クチコミが広がる仕組み、売上があがるロジックは論理的に。完全にどちらかに振れるものでもなく、実際はグラデーション。アニメーション時間や色使いもロジックで積み上げることができるし、サービス拡大の仕組みも「人がこう思うから」など感性的なアプローチだったりする。センスを分解したのがロジックで、目に見えない細かいロジックの積み重ねがセンスになったりもする。
チームで働くとき、言語化の力、つまりロジックがより必要になる。全員で同じ方向を向いたり、納得感を持って進めるためには明文化・明確化することが必要。センスは言語化できない場合も多いので必然的にロジックへの比重が高まる。説明上手になるのは良いが「なんとなく良い」「なんか嫌に感じる」という素の感覚も大事にしたい。まだ言語化ができないだけで、それも重要な自分のアンテナの一つだ。
チームでもセンスで決められる場合がある。それはメンバーが近しい感性を持っていて、「なんか良い」「わかる」と言語を挟まずとも一体になれる場合だ。Official髭dismやSEKAI NO OWARIはかつてバンドメンバーでシェアハウスをしていた。同じ映画を観る、同じ料理を食べると感性は自然と近くなっていく。お笑い芸人のロングコードダディの2人は若手の頃同じ家に住んでいた。何を面白いと感じるか、どういうことで笑うかを知れたあの時間が今に繋がっているとインタビューで答えている。一緒に住むのは中々ハードルが高いが、仕事でも長年一緒に働いた人とは思考が近しくなる。言語化できない部分でも合意がとれ、感覚的な要素も取り入れやすくなる。
山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』という本がある。かつて経営者はMBAを取っていたが、今はアートスクールに通うことが増えているらしい。MBAで学べるのはロジックで、ロジックは基本的に誰が使っても同じ結論を導き出せる。昔は前提情報の多寡があったが現在はインターネットの発展により誰でも簡単に情報にアクセスできる。そうなるとロジックでは差別化が難しくなり、いまはアート的な発想を伸ばそうと芸術を学ぶ機会を求めているそう。ロジックは正しいがそれだけでは面白味が薄い。センスは美しいがそれだけでは人を巻き込む力が作りにくい。自分の感性を大事にしつつ足回りはロジックで固めていくような、白黒ではない両取りの姿勢で構えたい。
人の顔色を窺わず自分の心に従う
フルリモートワークで働いて数年経った。通勤がない、好きな場所に住んで働けるなどメリットは多々あるが、他のメンバーとの距離が一定で保たれるというのも自分にとって大きい。
昔から周囲の人が考えていることを察知してしまう性質で、それが活きる場面もあるが大体は余計な心配になってしまう。不機嫌な人、うまくいってない人がいるとその人に共感しようとして色々考えてしまう。不機嫌の理由が自分にあるのではないかと自分の振る舞いを検証してしまう。大人になってからは「各人の機嫌は自分でコントロールするもの。もし何か自分に非があれば言ってくれるはず」と割り切るように意識していたが、リモートワークでかなりモードが切り替わった。人が近くにいないので物理的に顔色を窺うことができない。そうしたら自分の仕事に集中するか、といった感じ。
周りへの配慮をオフにすると、自分に使える時間が増える。自分の仕事の意義を整理したり、集中が切れたタイミングで体を動かしたり、自分が一番パフォーマンスを発揮できる習慣を探したり。そうやって自分と向き合う時間が増えたのは自分にとって大きく、出社していた頃とはまた違う社会人生活が送れている。自分の内面を知る行動のひとつとしてコーチングをお試しで受けたことがある。コーチは私の話を聞いて「あなたはFollow Your Heartを大事にしてるんだね」とまとめた。そういう分かりやすいフレーズで括ることに抵抗はあるが、確かに自分の信じた道を選ぶ方が成功しても失敗しても幸福度が高いとは思う。
もちろんリモートワークにも負の側面があり、人がいないことで孤独感を感じたり、周囲からの刺激が少なく視野狭窄に陥ったりすることもある。どの働き方を選んでも良い面悪い面があるので、そこは工夫していくしかない。例えば仕事中に雑談のための時間を取るとか、近くの人に声をかけてご飯に行くとか。リモートワークという一番大きな石を入れて、それだと届かぬところを他の小さな工夫で埋めていく。
ここで書いた周囲の人を気にしすぎてしまう性質も、同僚との飲みの場で言語化されたことだ。自分一人で探求する道は限界がある。自分の大切なものは明確にしつつ、人から影響を受けることも大事にしたい。
同じ本を二度読む
線を引きながら本を読んでいる。読み終わった本は基本処分しているが、心に響いた本、内容を覚えておきたい本は本棚に残す。読み返すことは滅多にないが背表紙が目に入るだけで読んだ時の気持ちを思い出させてくれる。
以前本棚を整理していて、大学時代に読んだ「顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説」をもう一度読んでみた。ザッポスはユーザーファーストという言葉がない時代から顧客第一主義を実践した会社で、ネットで買った靴のサイズが合わなかったら無料で返品を受け付けるし、急いで手に入れたいという要望があればあらゆる手段を使ってお客さんに届ける。「ワオ!(感動)」を社是としていたザッポスは顧客から熱狂的に支持され、やがてAmazonに買収されることとなる。
ペンを持ちながら再読してみる。大学の頃の自分は赤いペンで線を引いていたので、今度は青いペンを片手に読む。線を引くところが同じだったり、今では全然響かない箇所に線が引かれていたり、過去の自分の価値観と対面しているようで面白い。行動は覚えていてもその時代の感情の移ろいは忘れてしまう。本を読み返すことは過去の感情と向き合えるレアな体験だな、などと思いながらあっという間に読んでしまった。
本棚の見える位置に並べる本は年々変わってきており、過去に大事にしていた本が目に押し入れ行きになったりする。それも含めて自分の価値観の移ろいを表現できていて面白い。しかし最近は外に出しておきたい本が増えてきて、ちょっとした棚に並べるのでは手狭になってきている。幸いスペースもできたので壁一面の大きな本棚を用意したい。そこに自分が影響を受けておきたい本を並べて、気ままに手に取って数ページ読み返したりできたら心に良さそうだ。
読み終わった後ザッポスのCEOであったトニー・シェイについて調べてみると46歳という若さでお亡くなりになっていた。原因は諸説あるようだがドラッグ中毒に苦しめられていたようで、順風満帆な最期とはいえないようだった。最近はキャリアや幸福は点ではなく線で見るべきだと考えるようになってきたが、一時の華やかさが一生を彩ってくれるわけではないんだなと改めて心に留める。ご冥福をお祈りします。