要約した時に抜け落ちる部分が人生

昔Facebookが年末にその一年を振り返るショートムービーを作る機能を提供しており、それに対して友人がコメントしていたのが表題。その時なんとなく気の利いた言い回しだなと思い、それ以来定期的にこの言葉を思い出す。
大学で就活をしていた頃、どういう職につくか悩んでいた。それまで勉強とサークル活動しかしていなかったのに急に社会人生活をイメージできるわけがない。また別の友人が「自分の墓が立ったときに『〇〇を成した人物』と書かれるとして、そこにどう書かれたいかが軸になる」と言っていた。これにはまったく共感できない。人生を一文に要約することはできない。
志、生涯を通して成し遂げたいことがないからなのかもしれない。メイクドリームはその瞬間は華々しいがその後も人生は続く。一時的に急上昇する微分的な曲線よりも、じんわり毎日を積み上げる積分型を目指したい。家族や友人など、周囲のお世話になっている人には優しくしたいとは思う。それさえできれば後は、好奇心の続く中で楽しく毎日を過ごしていきたい。
体調が悪いときの過ごし方
低気圧か花粉かわからないが最近体調がすこぶる悪い。一日中鼻水が出て、よく鼻をかむので腹筋が痛い。花粉症ではないがついに発症したかもしれない。花粉症の人はこの状態で毎日働いたりしてるのだから本当にすごい。
昔見たイチローの名言で、「70%のコンディションのときは70点を目指せ」というのがある。プロ選手でも体調には波があり常に万全の状態は保てない。大事なのは悪いときにどうするか。70%の体調のとき、多くの人は「今日は体調が悪いな」と思ってベストを尽くさなくなる。そうではなく50%なら50点、20%なら20点と、そのコンディションでのベストを目指すべきというのがイチローの主張。自分は体調が70%くらいだともう今日は無理だなと一瞬で見切りをつけるタイプなので見習うものがある。
歳を重ねるにつれて体調が万全な日は減ってきている。これから体の悪い部位が出てきたり、心配事が増えてきたりして心身のコンディションは基本的に低下していくであろう。その中でもいまできる最大のことをやる。食事・睡眠・運動で心を整え、前向きの意図を保てればよい日を過ごすことができる。
AIエージェント
プログラミングをしているとAIが補助してくれるツールが当たり前になりつつなるなか、次のトレンドはAIエージェント。自律型AIと呼ばれることもあるが、要は指示を与えれば人間のようにコードを書き、作業が完了したらチャットやメールで報告してくれるようなツールのことだ。与えられた指示を細かいステップに分解し、既存のコードを読んだり考えたりして実装する。実装が期待通り動くか確認する。作業を進めていて不明点があれば聞いてくる。まったく新しい技術というわけではないが求めているものに近い体験が提供されていて、注目が集まっている。
AIエージェントのひとつ「Cline」を使ってみた。Clineを紹介している記事では簡単なゲームを作っていたりするが、自分はそれよりも普段の開発をブーストしてくれるかどうかに興味がある。そこでこのブログに検索機能をつけてもらった。「検索ボタンを置いて」「クリックしたらページを遷移して」「検索ページに入力フォームとボタンを追加して」「入力されたキーワードをもとに記事を検索して」、こんな感じでひとつずつ指示を与えると20分くらいで大枠を実装してくれた。最後に細かいデザインやレイアウトを微調整して完了。自分で書くより早いし、脳のリソースをあまり使わずに作れて楽。これでかかった費用は7ドル(1,000円)。趣味のブログをいじるには高い気もするが、仕事で考えればかなり安い。費用を抑える工夫もあるらしく、考えるところは高いAIモデル、実行のところは安いAIモデルと切り替えるなどのテクニックもあるらしい。そう考えると趣味でも十分実用的になりそうだ。
AI活用はプログラミングの分野で特に進んでいると感じるが、これはおそらくAIの開発者自身がエンジニアで、自分の欲しいものが明確に分かっているから。他の仕事でも今後AI利用は活性化していくだろう。画像や音声もあわせて扱えるマルチモーダルの性能も向上しているし、今後の変化が楽しみだ。
いろんな道で卓越しようとしない
成績やテストの文化に浸かりすぎたせいか、比較級で考えてしまい勝手に苦しくなるときがある。人の数だけ分野があり、そのすべてで良いスコアを出すのは無理なこと。なので助け合う必要がありチームの意義がある。分かっていてもすぐ憧れたり流されたりしてしまう。すべてでNo.1になる必要もないし、さらにいうとある道でNo.1になる必要もない。自分の得意な複数のことで組み合わせNo.1になれればそれで良い。
何を組み合わせるか。それは自分のやりたいことを決めるポイントから始まる。私の場合はWebサービスを作るのが好きで、それはデザイン・人の気持ちの理解・プログラミング・パズル・仕組みの理解などのブロックから構成される。この一つ一つの習熟度を高めていき組み合わせる。さらに業務用ツールとか心地よいツールとか自分なりの分野を追加して勝手に軸をつくる。人に押し付けられたものではなく内面からのもので勝負する。
「強みを組み合わせろ」というメッセージは新しいものではなく、大学の頃にすでに聞いたことがあった。それを聞いたとき半分は腑に落ち、もう半分は何を組み合わせればいいのか疑問だった。強みとはその環境で活きる特徴で、特徴は自分が飽きずにやり続けられること。人生の前半でいろんなことに手を出し自分が楽しめるかどうかを検証し、人生の後半で手に馴染むものを組み合わせていく。今は人生の後半に差し掛かったあたり。これまでに見聞きしたいろんなものを組み合わせて表現できたらそれは楽しい。
読み手にやさしい文章をつくる
文章にもタイプがあり、このブログに書いてるようなものは自分の頭の中を書き起して整理することが目的で、書くことそれ自体に重心がある。一方仕事やコミュニケーションで書くテキストは相手に伝わることが目的となる。太字や箇条書きでの装飾、画像や動画の添付など使えるものは何でも使ってよく、相手に伝えられれば勝ち。そこで求められるのは文章としての美しさとはまた異なる。
伝わりやすい文章は構造化されている。最初に主題があり、それを分解した各章があり、各章の中身として文がある。例えば何か質問をするとき、最初に質問の内容を短文で書き、続いて詳細な内容、そして自分で試した・考えた内容を添える。伝えるための文章では主語は相手で、相手が理解できなければ意味がない。自分と相手の理解の仕方は違うので、自分の脳内をつらつら書いても相手にとっては読みづらい。自分の知識を一度手放し、相手を憑依させて書いた文章を読んでみる。一読して理解できるなら良い文章といえる。
文章の上手い人は情報の構造化がうまい。どの要素がどの概念にぶら下がっているか。どの要素が重要で、どの要素は削ぎ落としても伝わるのか。これが上手い人はどういう人かを以前友人と話したことがあるが、その時に「論文を書いた経験があるかどうか」ではないかという話になった。大学で論文を書くときは長い文章を章立てしたり、図やグラフを使って分かりやすく仕上げる必要がある。さらに全体の要約を冒頭で紹介するのでキーポイントを押さえる練習にもなる。そして経験豊富な教授がそれについて厳しくフィードバックしてくれる。確かに論文に近い経験は他にないかもしれない。今も文章を書いてるとき教授から指摘された内容がチラついたりする。思わぬ形で過去の経験が活きていて面白い。