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エンジニアの日記帳。ものづくり、プログラミング、読書などについて書いてます。

共感と距離感

2024/10/30

誰かの話を聞いているとき、できるだけそれに共感するような姿勢になる。自分の知識を探ったり、過去の経験と照らし合わせてみたり。「自分だったらどう思うか」「自分だったらどう行動するか」を考えながら、相槌を打ったり質問をしたりする。人の話をちゃんと聞く、という意味でこれは悪いことではないが、この共感の姿勢には限界がある。人によって価値観は様々であり、どうしてもイメージしきれない話もあるからだ。

例えば戦争に行った人の話に自分が本当の意味で共感することはできない。その話題を抽象化して、自分の中の似た経験を引っ張り出してくることはできるが、それは相手の話を矮小化してしまって逆に失礼な気もする。こんな時できるのはただ聞くことで、自分は関係なく相手がその事象についてどう思っているのか、どこに悩みがあるのかを質問する形で会話することしかできない。共感と距離感のバランスを上達したい。

そんなことを思っていると「共感と距離感の練習」という本を本屋で見つけた。まさしく読みたかったタイトルで即購入したが、そのものズバリの回答が書かれているわけではなかった。著者の小沼さんが日常で感じた心情の変化を綴るエッセイで、その中で他者に寄り添ったり自分の感覚を大事にしたりする。その揺れ動きを積み重ねることが練習になる。「ここは共感、ここは距離感」といった明確な線引きはなく、常に考えていくことでしか上達の道はないのかもしれない。

仕事でユーザーインタビューをする機会があったが、インタビューの作法として「相手になりきる」というのがある。Webサービスの使い方について順に聞くのではなく、相手の仕事について教えてもらい、その中で自社のサービスがどう登場するのかをヒアリングする。それを脳内で追体験していくと細かい不明点が出てくる。その作業は週に何回やるかとか、困ったら誰に相談するかとか。そういうポイントをさらに聞く。それを繰り返していくと相手の仕事への解像度があがっていく。誰もが何かの専門家で、その人の仕事はその人自身が一番よく知っている。それを教えてもらう感覚で質問を繰り返す。

このインタビューも「共感」だが、最初に書いた共感とは少し違う。英語の似た言葉として「シンパシー」と「エンパシー」があり、どちらも日本語では共感と訳される。シンパシーは自分と同じ経験や立場の人に自分を重ねること。エンパシーは相手に憑依して相手視点だとどう見えるか考えること。似てるようでかなり違う。相手の話をしっかり聞きつつ、自分の経験に照らし合わせすぎないこと。自分がやりたいのはエンパシー力を高めることかもしれない。


朝に色々やると1日を2回過ごせる

2024/10/29

大事なことは朝に終わらせてしまうのが良い。脳のゴールデンタイムは起床後3時間で、その間はクリエイティビティが上昇して記憶への定着度も高まるらしい。この日記、英語、散歩、大事な仕事は朝にやるようにしている。

朝にすべてを終わらせると、もう満足した状態で一日を過ごせる。その後何もしなかったとしてもやるべきことはもうやっているからだ。昼以降はボーナスステージという感じで、そこで良い仕事ができたらベストだがそこまで捉われなくてもOKという心構えになる。朝から動くことで2回その日を過ごすことができる。

前職の同僚に朝ジムでトレーニングしてから出社している人がいて、「朝から一勝してきた」とよく言っていた。その時は笑っていたが実際的を得た表現かもしれない。一勝から始めると午後の仕事がダメダメでも一勝一敗のイーブンになる。うまくいけば二勝できる。

朝に動くことのメリットは他にもあり、他人に左右されず自分の時間を確保しやすい。例えば仕事終わりに水泳に行っているが、夕方の会議が長引いたり、退勤直前に話しかけられたりすると水泳はキャンセルになる。話すこと自体は嫌ではなくむしろ歓迎だが、習慣としては乱れやすい。人と過ごす時間は不確定要素が高いので、自分の計画を守りたいなら人が動き出す前にやるのがよい。

日中はサラリーマンとして働いているので、個人開発は仕事前と仕事後に分けてやっている。個人開発のどのパートを朝にするか、自分なりに腑に落ちるものを探している最中だ。今のところは文章を書いたりデザインを考えたり、集中力を使うものを朝に配置している。単純なコーディングはだらだらテレビを見ながらでも作業できるので夜にやる。しかし実装中に設計が破綻していることに気付き、夜の時間に急に本気を出す必要が出てくることもある。この辺りの時間の使い方はまだまだ改善の余地がありそうだ。


英語、散歩、文章の継続

2024/10/27

昨日この日記を書いて66日経過したと書いたが、他にも66日続いているものがある。

英語はこの日記と同じタイミングから始めて毎日やっている。最初はNativeCampでオンライン英会話をやっていたが、ここ2週間くらいはDuolingoに切り替えた。NativeCampは他のサービスと違っていつでも好きなタイミングで始められるのが素晴らしい。例えば9:12という中途半端なタイミングからでもティーチャーを選んですぐ開始できる。30分区切りとかだとうまく時間があわなかったりするのでありがたい。基本は1レッスン25分だが、気分が乗らないときや慌ただしいときは15分に短縮したりもした。5分だけの日もある。続けることを重視して1日の内容にはそんなにこだわらないようにしている。Duolingoは15分計りながらやっている。私は勉強の時は文字に書かないと覚えられないが、Duolingoは同じ文がしつこく出てくるのでスマホだけでも割と文法が身に付く。このまま続けたい。

散歩も毎朝行っていて、平日は朝に行く。30分くらいで3,000歩少々。音楽やPodcastを聴くときもあれば無音のときもある。友人と合流して一緒に行ったりもする。朝の空気のなか体を動かすのは気持ち良い。雨の日は行かなくてOKということにしていて、その代わりに気が向いたら室内で筋トレをする。仕事は基本座りっぱなしになるので意識的に運動を取り入れる必要がある。健康に過ごせる時間の割合はできるだけ多くしたい。

文章はこの日記とは別にnoteで書いていて、週に一回のペースで更新している。内容は仕事の話で、プロダクトマネージャーとして働くなかで気づいたことや学んだことを整理して書いている。noteの文章は勢いで書いた後に読み返して校正している。毎週火曜に公開しているのが、月曜に書いて火曜に校正・公開というのが大体の流れ。書くのが大変かなと感じるトピックでも書き始めてみるとスラスラ書け、1時間くらい書くとそれなりに形になっていたりする。66日で9本のnoteを出せたが、これはここでストップして良いかなと思っている。「3年前の、プロダクトマネージャーになりたての頃の自分が知りたかったこと」をコンセプトに書いていたが、当初知りたかったことは大体もう書けた。文章を整理しながら書くこと自体は楽しいので不定期にまたやりたい。ちなみに書いたものの中にはほとんど読まれなかったものもあるが、自分で読み返してみると大変面白い。自分がよろこぶものが書けて大変満足している。

習慣化を目指して色々やっていたが、これまでと一番違うのは朝の時間にすべてやっているということ。朝にすべて終わらせてから仕事に入ると気分が良い。やりたいことが1時間分あれば1時間早く起きる。そういう時間の使い方をするようになり、明確なやることがあるので朝もスッキリ起きれるようになった。朝起きてから3時間は脳のゴールデンタイムと呼ばれるらしい。この時間はメールの返信など誰かにパスする仕事ではなく、表現や勉強など自分の時間として使うようにしたい。


毎日日記を書いて66日経った

2024/10/26

夏に有給をもらってフィリピンに行っており、この日記は帰国した翌日から書き始めた。そこから数えて今日で66日、毎日更新できている。66日は習慣が根付くひとつの基準とされており、スタートするときに66日続けることをいったんの目標としていた。習慣としては生活に馴染んできたような気がする。

日記は朝に書いている。書く時間を確保するために早起きするようになった。起きるとまずパソコンを開いて書くようにしているが、これが頭の起床にとても良い気がする。最初は眠くても、テーマを決めて文字を書いているうちに目が覚めてくる。以前は起きてからもソファでうだうだする時間があったがそれがなくなった。頭のモードをONにするきっかけになっている。

書き方としては上手な文章ではなく、なるべく脳内を垂れ流したいと思っている。頭に浮かんだ文章を次々と書く。この日記はインターネットに公開しているが、そうなると人からどう見られるかがどうしても気になる。マーケティング脳が入ってしまいそうになるたびにOFFにし、それとはまったく関係なく自分の頭を書き出すことにフォーカスする。書いているうちに全然違う話になってしまうこともある。自分のなかでその二つは近いもの、繋がりがあるものとして整理されてるんだな、と気付けたりするのも面白い。

気分としては脳の排泄で、頭のなかでグルグル回っていることを一度言語化するとスッキリするという感覚がある。星野源のエッセイ「いのちの車窓から 2」の中で、いつも頭の中で仮想の人との会話が繰り広げられているという話がある。自分もこれはすごくあって、仕事や生活などで触れたいろんなことに対して常に考えてしまう。エッセイの中で全員がそれをやっているわけではないらしいと書かれていて、みんなやってることだと思ったので驚いた。そういえば小学校くらいの頃、話を自分の脳内で先に展開しすぎて友達と噛み合わないときがたまにあった。頭の中で自動的に考えてしまうことを文字で書いておくとスペースが空くような感覚がある。

日記自体はもともとプライベートで書いていた。インターネット上で人から見える場所で書く意味があるのかはずっと自問しているがよくわからない。本のカテゴリとして、知らない人の世界を知れる日記やエッセイを最近は好んでいる。普段接さない職業とか、海外で暮らす人の話とか。個人が感じたことを読めるのが面白い。そんなわけで自分も日記を書き始めたが、脳内では「それって意味あるの?」と100回くらい反芻している。仕事でマーケティング的な文章を書くときもあり、その時はサービスを知ってもらうためとか、誰の参考になる情報にするとか、明確な目的がある。この日記は個人的なことを書いてるし、別に文章で名を上げたいとも思ってないし、目的と呼ばれるものはあまりない。楽しいから続けている趣味なのでそれで良い。でも日記について人と話すとき、その人に理解してもらえるように意味づけして話す自分がいるのに気づいていつも辟易とする。人からの理解を求めてしまう。

次の目標も立てており、90日続けて書けたら本にしてまとめようかと思っている。調べたらEPUB形式というのでまとめれば良いので自分にもできそうだ。3ヵ月ごとにまとめて本として残す。読み返すことがあるのか分からないが、数年後自分で読んだら面白そうだ。写真が好きな友人が一年に一回その年の写真をセルフアルバムにまとめていると言っていた。そういう毎年の総括する系のイベントは面白そうだなとずっと薄く思っていたが、それを文章でやるのは興味がある。習慣は外部環境の変化などで容易に壊れるものだが、朝に文字を書くのは気に入ってるので続けたいと思っている。


期日前投票に行った

2024/10/25

2024年衆院選。投票日は所用があるため人生初の期日前投票に行ってきた。仕事前の朝イチの時間を狙って行ったが大行列。自分としては早朝から動いたつもりだったが世間的にはそうではなかった。仕方ないので並ぶと意外と列は早く進み、すぐに投票を終えることができた。紙を何枚か書くくらいだから回転率は高いか、と思ったりする。

事前に自分の選挙区の候補者を見て調べた。いろんなサイトが自分の主張と候補者の主張とのマッチングを測るものを提供しているがイマイチどれもピンとこず。分野によって興味の濃淡があるので、それを平坦に押し並べてスコア化されてもな、という感じ。Xで回ってきたポストに「自分が一番大事だと思う分野で近い候補者を選ぶ」や「消去法で残った候補者を選ぶ」などのアドバイスが書かれていた。完全一致する候補者は基本いないのでこういう考え方も有効か。

和田靜香さんの本のなかに「争点は自分で決めて良い」という一節があった。比較の軸はマスコミじゃなくて自分で決めて良いらしい。そういう考え方はしたことがなかったので試してみようと、最近関心のある同性婚で比べてみる。ほとんどの政党や候補者が賛成している。え、じゃあなんで実現されてないの?!と思う。政治の世界に無知なので深く突っ込めないが、関心事を自分なりに争点にするというのはうまくいかず。政党や候補者のプロフィールを見て選ぶことにした。

帰り道、海外だとコンサート会場とか普段入れないようなところで投票できるという話を思い出す。そういう投票 is cool、投票 is funみたいな仕組みはあっても良い。若い世代の投票率が低いから政治が若者の方を向かないと言われてきたが、若者って何歳までだろう。まだ若者の一票としてカウントされるのだろうか。駅では候補者の応援スタッフが声を張り上げて街頭演説をしている。こういう活動も政治を知ってもらう入り口として大事なことだというのも和田さんの本で読んだ。以前よりは活動の意義を理解しているつもりだが、やはり怒鳴られるような大声は苦手で怯えてしまう。