Feedback Loop

エンジニアの日記帳。ものづくり、プログラミング、読書などについて書いてます。

UIを作ると進捗が出る

2024/10/23

UIとはUserInterfaceの略で、サービスとユーザーとの接点のこと。ユーザーはUIでテキストを見るし、ボタンを操作するし、サービスで何が起こっているかを理解する。サービス開発では目に見えない部分の実装も多い。金額や日付の計算ロジックであったり、データの保存であったり、メール通知であったり。基本的には目に見えない部分の方が変更が難しいので先に作る。しかしそれだと見た目上は完成に近づいてないように見えるので、気まぐれにUIを作って進捗を出す。

「UIを作ると進捗が出る」というのは大学生の頃読んでいたブログに書かれていた内容。それは個人でMMORPG(オンラインで一緒にできるRPGのPCゲーム)を作っている方で、当時は珍しくサービス開発の過程とかデザインのポイントなどを書いていて楽しく読んでいた。その人がクライアントに進捗を見せたいときはUIを作るといっていて、そういう大人のテクニックがあるのだなと知らない世界に思いを馳せていた。

個人開発は完全趣味なので、どこから作っていってもよい。データベースからでもUIからでも、マーケティング的な調査からでもなんでもいい。ただ最大の敵はモチベーションの低下なので、気まぐれにUIを作り込んで進んだ感を出すと自分が喜ぶ。なんか触り心地よいし、これを作り切って公開したいなという気分になれる。心地よさは実際に触ってみないとわからない部分も多く、その意味でも早めにUIを作ると触れる機会を増やせてよい。違う機能を開発しながら「ここ毎回わかりにくいな」「このボタン押すと何が起きるんだっけ?」などと引っかかるポイントがあったら大体ユーザーもそこで戸惑う。ボタンの位置や文言を調整して分かりやすくしていく。

Away」というアニメーション映画がある。ラトビアのクリエイターによってつくられた約1時間半の映画だが、なんとたった一人で作った作品らしい。監督、制作、編集、音楽のすべてを担当し、3年半かけて作られたとか。途中で投げ出さず作り切ったことに大拍手だが、ウェブとはまた時間感覚が違うのかもしれない。製作中、アニメーションのコマを描いていって飽きたら音楽、音楽に飽きたら別の工程というふうに、疲れたら頭を切り替えながら作業していたらしい。デザインやプログラミング、コンセプト、仕様設計など、自分も疲れたら違う作業をして頭を切り替えたい。


自律神経をととのえる

2024/10/22

手や足は自分の意識で動かすが、内臓や血圧などは自分でコントロールせずとも自動で動く。これが自律神経系で、乱れると心身に不調をきたす。体には意識もできるし無意識にもできるものがある。それが呼吸。呼吸は自分の意思で自律神経に作用できる方法で、しんどくなりそうなときは呼吸を整えると良い。

自律神経は交感神経と副交感神経のふたつから成る。つまり、活動モードとおやすみモード。この切り替えをわかりやすくしてあげることが自律神経の助けになる。例えばリラックスできるはずの夜中に緊張状態が続くといまどちらのモードか分からなくなる。外の光を浴びずに日中もずっと寝ているといつ活動のスイッチを入れたらよいかわからない。規則正しく生活したり、夜寝る前にはスマホは見ないようにしよう、というのはこのあたり。

朝9時頃までの太陽光を浴びると体内にセロトニンという物質が分泌される。セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれ、自律神経の調節に一役かってくれる(馬チェロレッテ3で櫛田さんが渡してましたね)。医学的なことなので自分にはちゃんと分かっていないが、読んだ本によると毎朝20分の散歩がうつ病の服薬と同じだけの効果があるとか。ちなみにこれは雨や曇りの日でも有効。人間的には太陽光が届いてないように思っても、体はちゃんとキャッチしてくれる。

私は寒暖差に弱く、春や秋など気温が大きく変わるタイミングで体調を崩す。ただでさえ快適な季節は短いというのにもったいなすぎる。寒暖差で体調がおかしいなと思ったら家でお湯を張りゆっくり入浴したり、岩盤浴に行ったりする。岩盤浴は最近知った趣味だがなかなか良い。体の内側から温められる効果もあるが、スマホを持ち込めないので自然と脱デジタルの時間が作れるのが大きい気がする。マンガ本を持ちこんで読める施設もあると聞いて大変魅力に思ったが、それが良いことかはまだわからない。ただ天井をぼーっと眺める時間が必要かもしれない。

急いだり慌てたりしても自律神経は乱れる。私の場合自律神経が乱れると取り戻すのに小一時間ほどかかるので、待ち合わせには時間に余裕を持って早めに行くようになった。少し早めに着いて本を読んでいたり、1時間以上早く着いておいてカフェで待ちながらプログラミングしたりするのも楽しい。自分が苦手なことがわかったら、それを改善するのではなく対応するようになった。お店のクーラーが寒すぎることが多いので上着を常に持ち歩くとか。荷物は増えるがゲームを攻略しているような感覚にも少しなる。

自律神経はストレスや不安感にも強く刺激される。良い緊張もあるが、未来のことをずっと不安に思っていても良いことはない。その不安を取り除くために今何か行動するか、もしくはいったん忘れてその時が来たら全力で頑張る。先々を心配しすぎて今のコンディションを崩さないようには注意したい。


学ぶは"まねぶ"

2024/10/21

「学ぶは"まねぶ"。分かるは"分ける"。」これは社会人になりたての頃友人がツイートしていたスローガンで、それ以降いろんな本でも再度出会うことになる。学ぶは古語では「まねぶ」と読み、真似るの意味。どうやら物事を学ぶには模倣から入るという考えは昔からあったらしい。

デザインのスキルをあげたいとき、闇雲にはじめるのではなくまずはトレースから入る。自分が学びたい分野の美しいサイトやサービスを並べ、ひとつ選んで同じようなUIを作ってみる。各画面のレイアウトからテキストの色、ボタンの形や影まで似たものを作っていく。そうしていくと全体的な美しさはディティール部分の作り込みから来ており、一つ一つのボタンが最高にオシャレというわけではなくても全体で見ると素晴らしいルックアンドフィールになっていることがわかってくる。

プログラミングには「写経」という文化があり、これは誰かの書いたソースコードをそっくりそのまま写して実装することを指す。参考にするコードは書籍でもOSSでもなんでも良いがある程度達人が書いたコードが望ましい。書き写していくうちに全体の設計やコードがどう書いてあると読みやすいか、どういう単位で関数を分けるべきかなどが身についてくる。いきなり超熟したコードを読んでも逆についていけないこともあるが、例えばカレンダーアプリを作るなら誰かが公開してるカレンダーのコードを探して一度写経してみると理解が深まる。

アプリマーケティングの専門家に話を聞く機会があり、「どういうアプリが今流行ってますか?」と聞いたことがある。回答は明確で、「AppStoreのランキングTOP100を全部見て触って、自分なりにグルーピングしていけば傾向がわかるよ」というものだった。マーケの理論などは知らないがそれなら自分にも出来る気がする。実際にやってみると当時はカメラアプリが大盛況していて、その教えてくれた人もカメラアプリを作っていた。

最初の入り口は真似でいい。真似していくうちに、自分のなかで「これは美しい」「これは違う」という基準ができる。基準ができたら自然と真似する対象も取捨選択されていく。こうして自分なりの感覚が積み上がり、自分の型になっていく。いろんな人の作品に触れて、一般的な型が分かればそれを破ることもできる。普通こうだけど自分はこっち、という部分に個性が見えて面白い。

どの分野でも「真似ぶ」は応用が効くという話だが、終始物真似に終わってしまうのはつまらない。習うための真似はよいが、生み出すものは自分の内から出てきたものにしたい。こういうのがあったら面白いとか、困ってる人がこれで助かるとか、そういう思いを大切にしたい。そしてそれをうまく表現する、届ける方法は真似ぶで学んでいく。


共用エリアを綺麗に保つ

2024/10/20

集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』を読んだ。図書館などのインフラが街に与える影響について書かれた本で、なかなか興味深かった。

一番面白かったのは「荒廃するマンションとそうでないマンションの違い」。アメリカのとある治安の悪いエリアで、新しくマンションが建つことになった。このマンションは人気ですぐに全戸が埋まったが、やがて敷地内で窓が割られたり、薬物の取引がされたりするようになり危険なエリアとなっていく。住民たちは逃げるように引っ越し始め、マンションに空き部屋が増え、人が減ることでさらに治安が悪くなる。

ここで「やっぱ治安悪いエリアって難しいよね」となるのは思考停止で、実はその隣に立つマンションはとてもうまくいっており、住民たちは満足して暮らしている。マンション内の治安も良い。その違いは何かというと、ズバリ「共用エリアが綺麗に保たれているかどうか」。どちらのマンションでも住民たちは自分の部屋など、明らかに自分のエリアだとわかる範囲についてはきちんと手入れしていた。違うのは共用部分の廊下やロビーの扱い。うまくいっているマンションは住民全員の顔がわかる程度に小さく、そのためみな責任感をもって管理していた。新築のマンションは住戸数が多くて見知らぬ人の行き交いが多かったため、当事者意識が薄れて誰も共用部分をメンテせず、そこから乱れていったという。

日本のマンションでも小さければ自治の範囲だが、大きくなってくるとマンションの管理人さんが必要になる。住民全員が話し合って決めることが難しいと誰かが指揮をとる必要が出てくる。会社でも同じで、小さい組織のときはそれほど考えなくても上手く回っていたのが、組織が大きくなってくるとちゃんとしたルールが必要になる。誰もが働きやすい環境を望んでいるはずで、放っておけば各自が勝手に改善する。しかし組織が大きくなると当事者意識を持てない領域も出てきて、そういった場所ではルール・ポリシーや、こぼれたボールを拾ってくれる人が必要になる。

もうひとつ、街の施設の話。食品雑貨店やレストラン、カフェ、本屋などがある街では治安が保たれやすいらしい。著者いわくこういった施設は「街を消極的に監視する」。人を家から外に出す役割を担い、そこで地域への接点が生まれる。普段家にひきこもって仕事してる反動か、最近はこういった地域コミュニティに興味がある。孤立せずにゆるくつながれる社会に一票を投じたい。


Official髭男dismのライブに行った

2024/10/20

ヒゲダンのライブに行ってきた。会場は名古屋。Rejoiceというアルバムが最近出て、そのツアーライブが全国5ヵ所で開催されている。音楽のライブ自体これまで数回しか行ったことがなく、ヒゲダンを見るのは初。期待と不安が入り混じりながら参加してきた。

不安から書くと、ある時から大きな音や光が苦手になり、普段はそういう場所を避けて生活している。音楽ライブは大音量を楽しんでナンボの場所で、ステージの演出としても光が瞬くようなものも多い。ステージからかなり離れた席なら大丈夫なのでたまにフェスに行くときは後方から観るようにしてるのだが、今回は座席チケット制でかなり前の方が当たってしまった。ほとんどの人にとって喜ばしいことだと思うが心境は複雑で、自分のコンディションで最後まで楽しめるのか、こんな自分が良い席で見てよいのかなど色々考えてしまっていた。

結論からいうと大変楽しめまして、あっという間に2時間少々が経過。座席は予想通りかなりステージに近かったが、そのブロックの一番後方かつ列の端の席で、周りのスペースに余裕がある & 出ようと思えばいつでも会場を出られる環境だったのがデカかった(こういう場所だと気が楽)。また会場では音を和らげるイヤーマフが配布されていた。大人に比べて敏感な子供の耳を守るための配布に見受けられたが、その列に混じって大人の私もゲット。大音量に身体が慣れるまではつけて、少しずつ環境に順応していけたのも体にはよかった。

Rejoiceのアルバム曲は結構予習していったので、最近聴き始めたにわかファンの自分もほぼすべての曲でアガれた。私はアーティスト問わず激しい曲よりゆったりしたバラード調の曲が好きなのだが、ライブでは手を叩いたり一体となって盛り上がれる曲の方が好まれている気がする。バラード曲はそんなに盛り上がるポイントがあるわけじゃないし、自分の好きな曲がライブで演奏されてその曲をもっと好きになった!みたいな経験はこれまでなかった。しかしヒゲダンはゆったりした曲でも展開があり、サビでは声を張り上げ、なんというかどの曲もライブ映えした。ボーカルのさとっちゃんが「僕たちはライブが本当に好きで、曲を作ってるときもこれをライブ歌ったらどんな感じになるか考えている」的なことを言っていて勝手に納得。どの曲もより好きになった。

個人的なハイライトはSubtitleで、曲に入る前のMCでSubtitleの成り立ちが話された。「大切な人が困っているとき、助けてあげたいけど自分ではどうしようもないことがある。仲間や友人が悲しみに打ちひしがれてるのに自分は無力、そんな心情を描いた歌」。このMCの後にSubtitleを聴くと確かにすべての歌詞がそう感じる。友達が傷ついてるとき、無理に良い雰囲気にしようとポジティブに振る舞いすぎて変な感じになったり、相手を救える言葉を言ってあげたいけど適切なものが見当たらなくて辛かったり、そういうのって人生やってるとありますよね。2番の歌詞に「イルミネーションみたいな不特定多数じゃなくてただ君に届いてほしい」的な歌詞があり、良いものと表現されがちなイルミネーションが比較級の下側に置かれていて面白いなと思っていたが、これも「正しさより優しさが欲しい」。世の中では不正解とされても目の前のあなたを救う言葉を言いたい、そういう文脈で聴くとより深みがある。ヒゲダンの歌詞はどの曲もめっちゃ難解だが、その中ではSubtitleは意味を理解できているほうだと思っていたのでさらなる扉が開いて驚かされた。

その日の会場は1万2千人が来場していたらしい。ひとりの人間が考えた曲や歌詞を1万2千人が一緒に歌う。手を挙げたり体を動かしたり歌ったり、各々が好きに音楽を楽しんでいる空間にいれて、とても良い時間でした。