将棋にハマっている
最近将棋にハマっている。子供の頃に気まぐれに教室に通っていたことがあり、振り飛車と美濃囲いだけは知っている状態。町の小学生部門で準優勝したことがあり(田舎すぎて参加者6人だった)、謎の自信があったがまったく勝てない。悔しくて定跡を学ぶとこれまで勝てなかった理由が明らかになって大変に面白い。
実戦は将棋ウォーズとい歌アプリでやっており、世の中の同じくらいのレベルの人とマッチングして対戦できる。子供の頃は身近な対戦相手は兄しかしおらず、毎回ボロ負けして将棋が嫌いになっていったんので良い時代になった。20級から始まっていま5級。初段になると相当すごいらしいが、自分は2級を目指している。
勉強はYouTubeで、将棋放浪記というチャンネルで動画を見漁って定跡や筋を学んでいる。序盤の囲いや終盤の詰め将棋は知識を入れていけばよいとして、素人が一番わからないのが中盤の進め方。YouTubeでは実際に将棋ウォーズで対局しながらこの手は何を狙ってるのか?なぜこの駒は動かしてはいけないのかを解説してくれる。将棋ウォーズは待ち時間10分。プロのタイトル戦よりも遥かに早いテンポで打たれるためリズムが良いし、ひとつの動画は20分ほどで見やすいのもうれしい。
動画をみてると強くなった気分になるが実践してみるとまったく勝てない。棋譜を振り返ってみると序盤にこちらがミスしてしまい、それで劣勢のまま最後まで進んで負けるケースが多かった。性格的に先の先まで見通すのは苦手で、数手先まで考えたらすぐに打ってしまいそれが失策になる。まずはちゃんと盤面をよく見て冷静に行動することが必要。将棋が自分の性格診断になろうとは、子供の頃には気づかなかった。
サービスをリリースしていくと所有物が増える
Webサービスやアプリを作って不労所得で稼ぐ!みたいな宣伝を見かけるが、実際はリリース後も定期的なメンテナンスが必要で不労所得と言えるかは微妙なところ。機能改善していかないとユーザーが離れるというのもあるし、セキュリティなどの問題でシステムをアップデートする必要が生じたりと、完全に手が離れることはない。
今日は3年前に作ったシステムの更新を朝からやっていた。機能追加ではなく保守といわれる作業で、古くなってこれ以上更新できなくなっているシステムに手を入れる必要があった。既存のシステムはそのままでも動くが新しい機能追加ができない。スマホのOSアップデートをしないと新しいアプリがインストールできないように、サービス開発でもインフラが古いと上積みを改善できなくなっていく。
サービス開発は意外と手が離ない。リリースするまでは作り込んでいくだけで良い。この時は作っているものが世の中に受け入れられるかどうか未知数で、そこをできるだけ早く検証する勝負。使うに値するはずのものを世に出し、初期のユーザーを獲得できるかを検証する。運良くユーザーが気に入ってくれたらそこから次の勝負が始まる。次の段階では予定している新機能を作りながら、さらにユーザーからの要望にも応えていく。ただ作っていればよかったリリース前と比べて必要な仕事量は増える。要望はすでに見えている範囲の問題で、新機能はサービスが解決できる領域を増やすものなので焦点が少し違う。このあたりのバランスをどう取るかにセンスが現れる。
ある程度改善ができ、別のサービスを作っていたりするときにセキュリティなどの問題から以前作ったシステムをアップデートする必要が発生する。作ったのはかなり前のことなので記憶に薄いし、現代に比べると当時のツールで作っているのでシステムが古かったりする。ソースコードやログを見ながらシステムを理解して手を加える。iPhoneアプリは基本的にはXcodeというツールで作ることになるが、Xcodeは一年に一度メジャーアップデートして大きく変わる。以前作ったアプリがそのままだと動かなかったり、メンテに労力がかかる。この辺りは必要だが面白い仕事ではないので、こういう仕事こそAIに奪われたい。
AI時代のコンテンツの価値
疑問や質問はAIに聞くことが増え、Google検索する回数が少なくなっている。人間が調べるときはキーワードを入れて検索し、結果の中からそれらしいサイトをいくつかピックアップして読み、内容を読み比べながらまとめて理解する。ChatGPTの検索モードなどはまさにこういったことをしており、人間が調べるよりも高速なので使い道が広い。
仕事でWebサイトに表示するテキストや画像を管理するサービスを作っているが、AI時代にはどうなるのか。Webメディア単体で事業をする場合、検索などから辿り着いてもらってページビュー数をあげ、そこで広告や会員料などで収益化するモデルが多い。検索回数が減るとこのサイクルが回りにくくなり、Webメディアの数は一見減るように思われる。しかしAIが最新の世の中の情報をどこから学ぶかというと、それは人間の用意したコンテンツからである。何かを調査した結果、個人の意見、業界の動向などは人間がまとめることで始めてAIが学習できる。出面がWebページではなくAIになるかもしれないが、変わらず一次情報としてのコンテンツは強い。
次に、AIが十分に浸透した時代を考える。ひとりずつにAIエージェントがつき、困ったらサポートを受けられるような時代。仕事やプライベートの面倒な作業はAIに指示してやっておいてもらえると、人が自由に使える時間が増える。時間が余ったときに何をするかといえば、それは「表現」ではないだろうか。自分の思いや体験を文字で書いたり絵に描いたり写真に撮ったり、あるいは人に話したりする。それをインターネットに置いておきたい時もあるだろう。コンテンツは人の求めるものを置く場所から、より個人的な情報がある場所になっていく。
ベクトルではなくスカラーの大きさが人生を豊かにする
良いことでも悪いことでも振幅が大きい方が人生が豊かになる。いつも通りの日常も平穏で素晴らしいが、新しい趣味を始めたり未経験のことにチャレンジするのは素晴らしい。その結果思うようにいかなかったり、挫折したりすることもあるがそれも味。その時はネガティブな経験だったとしても後の人生で伏線回収できる機会がある。生存者バイアスがかかってる気もするが現時点ではそう思う。
成功した起業家の行動パターンを分析した本「エフェクチュエーション」で、失敗時にかかるお金や時間の許容度をあらかじめ定めておくという章がある。もし最大の失敗をしたらどうなるか?自分はそれを受け入れられるか?失敗は怖いが、実際のダメージを計測することで正しくリスクを管理できる。リスクを取らず何もチャレンジしないこともまた機会損失というリスクになっている。動かない場合のリスクは評価しづらいが、例えばWebサービスだとトレンドについていかないと陳腐化して競合に負けるなどがある。自分はコロナ禍やリモートワークにより"静"がデフォルトになっている感があるので意識的に動く機会を探す必要がある。
新しい場所に行く、新しい人と会う、新しいことを始める、新しいジャンルを学ぶ。前職の同僚が飲み会で「お金より色々な経験をすることに重きを置いている」と言っていたが、実際彼は数年後会社を辞めてデンマークに留学していて驚いた。ここまでは行かずとも多少は自分にも取り入れたい。
Webサービスの行き止まりをなくす
このブログにちょっと手を入れて前後のポストへのリンクが表示されるようにした。Webサービスを作っているとこういう回遊を生む構造について考えることがある。そこで立ち止まらせず、次のアクションに繋がる何かを用意する。
そのサービス過ごしてもらう時間を長くすることが事業のキーポイントの一つとされる。例えばネットショッピングでは商品を見てもらうほど購入される可能性はあがるだろうし、SNSならもっと直接的に広告の表示回数が収益になる。可処分時間の奪い合いの時代とも言われる。余暇の時間をどう自分のサービスで過ごしてもらうか?消費者向けサービスではこの観点が重要視される。
ネットショッピングをしていて、何か目当ての商品を検索したくてキーワードを打つ。そこで希望するものがない場合、キーワードを変えて再検索する必要があるがそれは面倒臭い。スマホで文字を入力するのが手間に感じるのは、それが能動的な行為だから。ただ流れるものを見るような受動的なアクションならハードルは限りなく低い。そこで検索ワードから連想される商品を並べてみたり、別の検索ワードを提案してみたり、閲覧した商品に関連しそうなものを並べてみたりする。画面をスクロールして気になるものがあればタップする、だけであればほとんど受動的に操作できる。
検索にヒットする商品がひとつもないとき、検索結果の一番下までスクロールしたとき、何か打てる手がある。これらは今やっている作業がいったん終わり、次にユーザーが能動的に何かを起こす必要があるタイミング。つまり行き止まりの状態といえる。放っておくと離脱してしまう可能性が高いので、似た商品を出したりして間を繋ぐ。ソーシャルゲームなどが上手いが、ひと区切りできるタイミングで次のアクションを始めさせると長く使ってもらえる。滞在時間が伸びるのは事業者側としては願ってもないことだが、ユーザー的には意図せず長い時間をそこで使ってしまう場合もあり人類の利益になっているかは怪しい。ユーザーとして使う場合はこういう罠は避けるよう意識しておきたい。