ZINEをつくった
先日、友人とZINEを作った。ZINEは個人や小規模グループにより作られる本で、テーマや形式は自由。文章でも写真でもなんでもよい。読み方は「ジン」で、リトルプレスと呼ばれたりもする。私は友人とPodcastをしていて、そこでよく話している一つのトピックについて深掘りして文章を書き、それをもとにZINEを作ってみた。
本といってもその形式も自由で、今回はA3用紙の裏表印刷で、そこに入るだけの文字量を書いた。最初に章立てを考えてパートを分け、あとは各々の担当箇所の文章を書いていく。私たちはお互いの文章を同期して見れるようにNotionに下書きを書いていき、その後Canvaでレイアウトに落とし込んだ。Canvaは本当に便利で、雑誌のようなレイアウトのテンプレートがたくさん用意されていてそこから選んで本を作れる。リアルタイム同時編集も可能で、二人で同時にレイアウトを調整したり文章を直したりして、かなりサクサク作れた。しかもすべて無料である。どうなっとるんじゃ。ZINE作ろうという人にはCanva、オススメです。ちなみに文字のサイズ、Webサイトだと14pt未満は小さすぎるのでやめよう的なルールを自分の中でもっていたが、印刷物では14ptは大きすぎる。逆に8ptとか10ptとかに落とさないといけない。パソコンよりも本や雑誌の方が目に近い位置で読むのでそういう関係?14ptで印刷したらめっちゃ文字デカくてひと笑いした。
配布の方法はコンビニプリントで、読みたい人はコンビニにあるプリンターで自分で印刷してね、という形。A3の裏表なので1枚40円。ネットプリントに登録してプリント番号を共有すれば、全国各地で誰でも印刷できる。期限はコンビニによって違うが、今回使ったセブンイレブンのネットプリントだと7日間。つまり登録してから1週間が経つと自動的にプリント番号が利用不可になる。この期間を無限にできたらどこかでプリント番号を掲出し続けて、興味ある人がいつでも手に入るようにできたんだけど、まぁそこはデータベースも有限ということで仕方ない。ちなみに今調べたらローソンとかファミリーマートのネットプリントだと最長30日間に伸ばせるっぽかった。明らかにこちらを選んだ方がよい。まぁそれも趣味のZINEということで、ご愛嬌。1日で印刷までできて作る時間も面白かったので、また折を見てやってみたい。
余白をつくるとアイデアが湧く
2025年からマイナンバーカードと免許証が一体化するというニュースを見た。情報流出したときのインパクトは大きくなってしまうが、基本的に持ち物が減ることは良いことだと思う。最近はちょっと出かける分には財布を持ち歩かなくなった。コンビニやスーパーはどこも電子マネーが使えるし、個人のお店もPayPayに対応してるところは多いし、電車はモバイルSuicaで乗れる。スマホだけ持ってれば大方問題なく、手ぶらでどこにでもいけるのは心地よい。
最近は余白や余裕の大事さをよく考える。例えば新しいサービスを作るとき、時間を多めにとって落ち着いたカフェとかでノートに小一時間考えてることを書き出すとけっこう良いアイデアが浮かぶ。仕事やプライベートで行き詰まったとき、公園を散歩しながら何に悩んでるのかぶつぶつ口に出すと折り合いがつけれたりする。逆にミーティングや用事で日常がパンパンになってるとき、ひと息つく余裕がなくてただ目の前の作業をするだけになる。物事を俯瞰できなくなる。
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」では、人間には創造性が本来備わっており、それをいかに解放するかという話が繰り返し出てくる。どうやって創造力をあげるかではなく、本来ある創造力を堰き止める要素をどう解放していくか、という方向で考える。そのために幼少期に植え付けられた価値観を掘り起こして向き合ったり、自分の創造性を信じ直すためのワークをやったりする。自分的には机のまわりや部屋を片付けておくとアイデアに良い気がしている。人間はふと目に止まったものを考えてしまう。未払いの公共料金の紙とか読みかけの本とかが目に入るとそのことを考えはじめてしまう。スマホは視界に入るだけで、何も表示されてなくても20%ほど注意を取られるらしい。目に入らないところに置くか、画面を伏せて置くようにしている。
Netflixの「アート・オブ・デザイン」は毎回いろんな分野のデザインについて語る番組だが、シーズン2にInstagramのチーフデザイナーの回がある。デザイナーのイアンは京都を定期的に訪れるらしく、その目的について「インスプレーションをもらうわけではない。頭や心のなかを整理する。するとできた余白にインスピレーションが湧いてくる」と話している。アイデアは外ではなく内から見つかる。見てきたものや考えてきたことが、染み出して現れる。
昔は良いものを真似て、その組み合わせがオリジナリティだと思っていた時期があった。「コピーキャット」などそういう理論を書いている本もある。それもひとつの真実だとは思っていて、例えばユーザーインタフェースを考えるのに必要なのは引き出しの数な気がする。ただ、根幹のコンセプトのところは個性というか、自分がどういうのが好きか、何が気になってしまうかなどを突き詰めた先にあるものだと思う。ブルーボトルコーヒーの創業者の方がインタビューで、もし日本に生まれていたらカフェではなく喫茶店をやっていたと思うと言っていた。自分のルーツに沿ったものをやることは、創造としても強いし長くも続けやすい。
「家父長制はいらない」を読んだ
『家父長制はいらない 「仕事文脈」セレクション』を読んだ。
家父長制とは男性が一家の長で、家族に対して絶対的な支配権を持つ制度のこと。1876年に民放で定められ、戦後に廃止されたが現代もこの慣習は根強く残っており、そのせいで苦しむ人がいる。この本はリトルマガジン「仕事文脈」の中からフェミニズム、ジェンダーなどに関する記事をピックしてまとめられたもので、合計18人の著者がいろんな角度から家父長制にまつわる文章を書いている。
どの記事も面白かったが、特に印象に残った覚えている文をピックアップ。
こうした場面では「パートナー」といった言葉よりも「夫婦」というキーワードを使った方が効果が大きいという判断があったからだろう。たしかにそうなのかもしれないが、その現状に追随していたら、数の少ない人たちが小さな違和感を感じ続ける状況は変わらない。
これはSEOライティングについての一文だが、自分も同じような経験がある。何かを表現するとき、誰も傷つけない表現はあるんだけど、それだと抽象的すぎて誰にも刺さらないものになってしまう場面。「夫婦」のように言い切ってしまう方がターゲットに届きやすいなら商業的にはそれを選択するのが正解となる。でも自分の気持ち的には違和感があって…みたいな。Webサービスを作ってるとターゲットを明確にすることがよく求められるが、そのターゲットを言語化することで誰かに違和感を感じさせてしまってる気がする。各々が生活しているのに、わざわざ線引きして分断させてしまってるようなイメージ。インクルーシブな社会とマス向けの資本主義のバランスを最近よく考えるが、なかなか自分のなかで折り合いがつけられてない部分。
表現の現場でよく聞かれる言葉がある。「実力があれば評価される」「優れた作品をつくれば結果はついてくる」
(中略)
ここでの「実力」や「優れた作品」を評価する仕組み自体に偏りがあるということに他ならない。
女性の作品が評価されにくいのではないか、というのを受けて。自分のなかであまり言語化できてなかったが少しモヤが晴れた。そもそも評価というのは他者から与えられるもので、その評価者は男性が多い。自分と似ている人のことは理解しやすく、無意識のうちに加点するものなので、男性の作品が評価されやすい構造になってしまう。女性の作品が評価されることももちろんあるが、その一例をとりあげてワーッと叫ぶのではなく構造の不平等を解決するのが大事。何かの審査がなされる場であれば審査員を男女半々にするのがまずは出発点かなと思った。
私たちは自分と異なる考えを持つ人に同意はしなかったが、その意見を正そうともしなかった。ただ、反論に耳を傾けるだけの好意と信頼を相手に抱いていたと思う。
こういうコミュニケーションをしたい。ただ聞くというのをやりたいと思ってるが、相手の意見を強く押し付けられそうになると反発してしまう。他人に同調してしまいがちな性格なので、うかうかしてると相手の価値観に染められるような恐怖がある。実際は大事なものは人それぞれ違っていて、考え方が違うのは当然で、それでOK。各々の意見を言って、必要あればそれを擦り合わせていくので良いのに、それが難しい。これは練習が必要なものだと思ってるので少しずつトライしていきたい。
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自分は男性なので、男性の立場から。「男らしさ」という価値観がインストールされていることで苦しむことは割とあった気がする。力は強くないし、喧嘩したことないし、小さいことをいつまでも気にする性格。車を運転できないのは長らくコンプレックスに感じていた(免許はあるが運転が怖い)。泣くこともよくある。それも感動して"男泣き"とかではなく、普通に寂しくて泣いたりする。今ではそれも自分の特徴と思えてるけど、子供のときとかは何となく良くないようなことに感じていた。
男性が女性を守るべきみたいなのも、もっとフラットで良い気がしていた。困ってる人がいれば重い荷物持ったりしたいけど、それは男性だからではなくその人より自分の方が力が強いならそうした方が良いと思っているんだと思う。男性の方が女性より力が強いでしょ、みたいなのは傾向としてはあると思うが、個人差は常に性差を超える。男性だからどう・女性だからどうではなく、その人がどう感じるか。とはいえ構造的な不平等があるなかでフラットもクソもないので、まずは個人としては日常の男性特権に自覚的になるところからかなと思っている。
熱量あるうちに仕組みを作っておくと楽
個人開発の最大の壁はモチベーションだ。個人開発は本業とは別でやる趣味の開発のことだが、平日の朝や夜、土日の時間を使ってやっている。自分の100%好きなものを作るので最初は楽しいが、数週間経つと徐々にその楽しさにも慣れてくる。そして仕事やプライベートが忙しい日々が続くとなかなか時間が取れなくなってきて手が止まり、一度止まるとモチベーションを再燃させるのは難しい。会社の仕事と違い、別にやらなくても良いことだから。モチベーションの曲線をプロットすると最初に山があり、そこから右肩下がりになるのが通常だ。
このモチベーション問題を解決するために自分が考えたのが爆速でリリースすることで、とにかく飽きが来る前に作りきって世に出してしまう。世に出せば使ってくれるユーザーがいたり反応の声があったりするので、また違ったモチベーションを得られる。何を作るかを考えたときにあまりに時間がかかるものは除外し、今の自分が数週間で作れるものに絞って考えていたところがある。これまで過去に20個くらいアプリやWebサービスを作ってきたが、振り返ってみると徐々に難易度の高いものとなっている。最初は公開されているAPIを利用し内容を表示するだけのアプリ、次は自分でデータベースを持つアプリ、次にUIを作り込んだアプリ、次にWebSocketを使ったアプリ。サービス開発では似たようなUIや機構は使いまわせるので、一度作ったものがあれば次回同じような手順は時短できる。これを続けるといろんなものが数週間ほどで作れるようになってくる。
段階的に難易度をあげるのは自分に合ったやり方だったと思うが、もちろん一択の正解ではない。ある友人は元々エンジニアではなかったが、個人的に欲しいアプリがあり、それを作るためにプログラミングを勉強して長い時間をかけてアプリを作った。データベース、認証など、自分なら最初は避けるようなものも時間をかけて作り込み、わからないところは知り合いに聞いて少しずつ前進。そのアプリはリリース後ヒット作となり、多くのユーザーに愛されている。このやり方と比べると自分のは勉強寄りで、幅広い技術や知識をゆっくり積み上げていく方式。友人のやり方は目的にまっすぐで、作りたいものから逆算して必要な技術をピンポイントで学んでいる。どちらが良いということはないが、後者の方が自分のやりたい課題解決に近そうかも?ただ、モチベーションを維持して長く取り組むことが、自分にはやはり難しく感じる。
最近新しく気づいたのが、モチベーションが高い間にリリースだけではなく、仕組みまで整えておくと楽だということ。この仕組みというのはテストコードを書いてサービスが壊れにくくしたり、散らかったコードベースを整理したり、リリース手順をドキュメント化したりとかのこと。リリースまでは一気に作り切ったとしても、実は重要なのはそこからの改善の旅だったりする。日常が忙しくて1ヵ月くらい空くと、過去の自分が書いてたソースコードがよくわからなくなる。そこを読んで思い出すところからのスタートになってしまう。また、いろいろな機能を追加するほどシステムは複雑化するので、バグを生みやすい。ひとつ修正するたびに他の箇所にも影響はないか確認して回るのはエネルギーを消耗し、結果開発効率が落ちてしまう。
最近作ったcastmakeというサービスでは、リリース後の熱量が高い期間で、機能ではなく仕組みを整えることに時間をつかった。それはテストを書いて壊れにくいシステムにしたり、難しいことを考えずボタン一発でリリースできるようにしたり。つまり、もし誰かが開発を手伝ってくれるとして、説明不要でその人に渡せるような状況にした。1人でやってるので渡す先は別にない。ここでいう「その人」とは未来の自分。1ヵ月後の自分がシステムを見た時に迷わず作業に入れるか、それを考えて整えていった。
さて、そこから数ヶ月経ったいま、久しぶりに機能を追加したが作っておいた仕組みの恩恵をかなり受けたと感じる。ソースコードを読み直したり構成を再理解する時間は不要で、何か修正を加えたらテストが自動的に回って壊れていないことを保証してくれる。これまでとは安心感が違う。これまではバグにならないかとビクビクしながら作って確認の工程に多くの時間を割いていたが、今回は作りたい機能について考える時間が増えた。今まで新規で作るのが好きでアップデートを億劫に感じる場面があったが、その正体が分かった気がする。変更して他の箇所が壊れることが怖くて、それを無意識に避けようとしていたんだ。それがわかり、長年のモヤモヤがひとつ解消された気がした。
「熱量あるうちに作り切る」というのは自分の個人開発のテーマだが、そこに「熱量あるうちに仕組みも整えておく」が加わった。こういう仕組みはサービスが小さいうちは導入しやすく、サービスが複雑化していくると入れづらくなる。早めに導入して、その上で伸び伸びと改善していくようにしていきたい。
Webサービスの設計の勘所
個人開発で色々作っていて、Webサービスは最初の設計が大事だなと感じる。ここでいう設計とは仕様とかデザインとか技術選定とか色々なものを含んでいて、何か新しいサービス・新しい機能を作るときに考えること、みたいな広い意味。良い設計は変化に強くて柔軟性がある。
Webサービスはリリースして終わりではなく継続的に改善していく。改善の方向は自分の好みだけでなくユーザーからのフィードバック、AIなどの世の中の技術トレンドによっても影響を受け、リリース時点では思いもよらぬ方向に伸びていくこともある。そうなると重要なのが、変化に柔軟に作ること。例えばメモアプリを作るとして、最初は書いたテキストを保存できるだけのものを想定していたとする。しかし、将来的にはテキストだけでなく画像や動画もメモとして書きたくなるかもしれない。太字や斜体などの装飾をつけたくなるかもしれない。パソコンで書いたのをiPhone/Androidアプリで同期したくなるかもしれないし、書いたメモをURLにして知人にシェアしたくなるかもしれない。出発点はシンプルでも、改善を重ねるごとにどんどん複雑度があがっていく。
書いたテキストの文字数をカウントして表示するような、アドオン的な機能は後からでも作りやすい。iPhone/Androidアプリにも同期するような、システムの根幹に影響するようなものは後から作ると時間がかかる。最初から考慮して設計できていれば比較的容易に作れる。最初にどれだけ拡張性高く作れているか?が後の機能追加のスピードに影響する。
ただ、常に最大限柔軟に作れば良いのかというとそうでもない。柔軟に、汎用的に作ると変化には対応しやすくなるが、何でもできすぎると逆に理解や管理のコストが高くなる。ソースコードを見たりデータベースの構造を見たりするときに、なんでこういう作りなんだっけ?と毎回自問することになる。汎用化すると基本的にはコードベースは膨らむので、少しの機能追加にも時間がかかるようになる。作っているサービスに将来どういう機能がつく可能性があるかを考えて、抽象度を適切にコントロールする必要がある。
用途をある程度絞った方がよいのはユーザー的にもそうで、「これで何でもできます」というサービスは基本的に使われない。インターネットは広く様々なサービスに溢れているので、ユーザーと接する短いタイミングで「あなたがやりたいコレを叶えるサービスですよ」と伝える必要があり、そうなるには特定の分野に絞って提供するのが理にかなっている(Notionは例外で何でもできて売れているので本当にすごい)。例えばメモアプリにはApple TVにミラーリングする機能はいらないだろう。プライベートな内面を書く日記アプリでは書いた内容を全世界に公開する機能はいらないだろう。こうやって必要・不要を精査しながら仕様と設計を落とし込んでいく。
設計が上手くなるには設計を経験していくしかない。いろいろなものを作ったり他サービスを研究したりする。他の成熟したメモアプリにはどういう機能があるかを見ておくとイメージを膨らませられる。最近流行ってるサービスは複数人で共同編集できるものが多いな、とか知っているとその機能が必要かどうか早い段階で検討することができる。いろいろ作っては設計を後悔して、次やるときはもう少し上手くなる。そんな感じで日々設計力を磨いている。