コントロールできるもの、できないものを分ける
使わなくなったものを粗大ゴミに出し、1年以上着ていない服を捨て、衣装ケースまわりを整理整頓したら気持ちが楽になった。高いご飯を食べるようなピンポイントな贅沢よりも接する時間が長いところを微改善するほうが幸福度への貢献は大きい。
さて、仕事でも生活でも自分で制御できるものとできないものがある。自分の習慣や行動パターンは変えられる。人の気持ちや会社の方針は変えられない。この分けを間違えると不幸になる。誰かに自分のことを好きになってもらいたくても、人の心はその人のもの。好きになってもらえるよう努力することはできても、最終的には相手の判断に委ねられる。
仕事で、目標を分解してツリー構造に落とし込むことがある。ツリーの要素にはコントロールできるものとできないものが混在する。「売上をあげよう」と言われても何をしたら良いか分からない。「機能リリースの数を2倍にしよう」これは詳細を詰めればできそうだ。ただ闇雲にリリースしようとするとベクトルが分散するので、上位の目的を言語化して共有しておくことが必要になる。ツリーのどの部分にフォーカスするかが筋の良さになる。
生まれた場所や過去の失敗をなかったことにはできない。そこから意味を見出し自分の経験にすることができる。何かに注目する時、それがコントロールできるかどうかをまずは整理したい。
すべての年代の自分がいる
30代後半となった自分は普段は社会人として働いているが、実家で甥っ子や姪っ子と遊ぶときは自分も子供に戻る。年を経ていろいろな経験をして大人になっていくと思っていたが、実際は12才の自分も20才の自分も35才の自分もいる。場面ごとに切り替えたり、各年代の自分で話し合って行動を決めたりする、という感覚が近い。大人になっても童心は消えていない。
友人の子供と遊ぶとき、その子の考えてることがある程度分かる。この玩具で遊びたいとか、本当は遊びたいけど恥ずかしくて逆の態度を取ってしまうとか。それは自分が子供好きだからとかではなく、自分のそういう時代をよく覚えているからだと思う。三男の末っ子として生まれ、兄や従兄弟と歳が離れていたのでよく遊んでもらった。よくワガママも言って困らせた。そういう時に言ってもらって嬉しかったこと、言って欲しいと思っていたことを声かける。子供に言っているようで過去の自分が喜ぶ。一種のセラピーになっている。
バイブルとしている「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」ではアーティストデートという習慣が推奨されており、これは毎週2時間自分がやりたいことをやらせてあげようというもの。美術館に行くでも散歩に行くでも良いが、自分の内心に栄養を与えられるようなことを一人でやる。普段しがらみの中で自分をアジャストして生きている。誰しも自分の中にアーティストな一面があるが、それは素直で脆い。それを外の刺激から守り大事にすることが、自分の中の好奇心を湧き立たせることになる。
「漫才過剰考察」を読んだ
「漫才過剰考察」はM-1を2連覇した令和ロマン・くるまの著書。読む前のくるまの印象はお笑い分析屋。流れを読んで戦略を立てそれを自ら実践する。〇〇はなぜ人気なのか、みたいなお笑い評論にはあまり惹かれないので本書も敬遠していたが友人に薦められて購入。これがめちゃめちゃおもしろかった。彼の分析は巷に溢れるものとは違い本質的で、そこに彼のバイブスが乗っており読み物としてとてもよかった。
歴代のM-1大会を分析し、なぜこのタイミングでこのコンビが王者となったのかを彼なりの自論で紐解く。最年少で不利なはずの霜降り明星がなぜ勝てたのか?お笑いブームの拡大はM-1の採点にどう影響したのか?年を経るごとに変わるトレンドをなぞりつつ、その時起こった変化が説明されていく。M-1への愛も随所に現れる。この本で熱量高く言及されるネタをもう一度見たくてAmazon Primeを開いた。M-1への没頭が流れを読む力に変わり、トップバッターながらに4種類の中から適したネタを選んで見事優勝するという2023年の結果に結びつく。
自分の感想では、くるまは「ユーザーファースト」なお笑い芸人。その日の観客を見てネタを選ぶ。子供が多いとか老人が多いとかはもちろん、誰かのこのボケがウケなかったから今日はこっちのネタにしよう、みたいな観察力がとても高い。たぶんビジネス書を書いたらベストセラーになる。実際雑誌Forbesでヤフーの会長の川邊さんと対談していた。考え方が仕事ができる人のそれで、没頭できさえすればどの分野で活躍できそうに思える。
末尾には霜降り明星・粗品との対談。これも最高に面白い。個人的に霜降り明星は大好きで粗品のYouTubeもほぼ観ている。「しもふりチューブ」「粗品 Official Channel」の2つを毎日更新しつつ、週3本のペースで「粗品のロケ」というサブチャンネルも運営する。しかしそれをすごいことだとは思っておらず、テレビやYouTubeについても「〇〇はオワコンになる」などの特段の思いはない。普段得意だからやっていると言っている通り、お笑いのスタンダードが高くて雑談でもコンテンツになってしまうように見える。YouTubeでもたまにお笑いへの思いや天下の取り方について喋っているが、この対談はくるまへのリスペクトもあってか体系立っていて筋が一本繋がっている感じ。放っておいても天下は取れるので今はそれを最短にするバイパスを探しているという表現。最近の粗品の動きが総括されている。
粗品のコンテンツで好きなのは「Finance Fan」と「カジノ」。前者はファンを集めてお金を誰から借りるか粗品が選抜していくリアリティーショー。後者は韓国のカジノで1億勝負するという企画で、どう転んでも面白くできる粗品の技術に展開が絡んで傑作となっている。まだ観てない人はよかったら観てみてください。
ユーザーインタフェースの発明
ユーザーインタフェース(UI)とはユーザーがサービスを利用する際の接点のことで、デバイスやWebサービスのレイアウト、ボタンの外観などのことを指す。Webサービスを作る際にはUIは重要だ。それがボタンだと分かるようにデザインすることでクリックできることをユーザーに伝えられる。赤文字にしてゴミ箱アイコンを添えることで危険な処理なので慎重に行ってほしいことを伝えられる。
例えばパソコン上の「フォルダ」は、実際のデータ構造がそうなっているわけではなく、ユーザーが概念を理解しやすいように現実を真似て表現されている。私たちは見慣れたものだと安心し、その使い方を自然と理解できる。iPhoneが登場した当初、現実世界の要素を画面上に落とし込むスキューモフィズムというデザインが流行っていた。これはまだアプリという概念が浸透しきってない時代に、その用途や目的を現実になぞらえて伝えるためだったといわれている。
素晴らしいUIが考案され、それが真似されてスタンダードになるという流れがある。例えはページの末端までいくと次が読み込まれるオートページング。次のページに進むボタンを主体的に押すのは面倒くさいが、自動で読み込まれたら受け身的に読み続けてしまう。人間心理を突いたこのUIは滞在時間を多いに高め、いろんなサービスがこぞって真似をした。Netflixの番組でこのUIを最初に作った人にインタビューするシーンがある。彼は人の時間を奪いすぎるUIを作ってしまったと反省していた。滞在時間を伸ばすのはサービス事業者にとっては目指すところであり、ユーザー個々人の時間を奪うと分かっていてもやり続けてしまう負の側面がある。
スマホアプリでニュースなどを見ているとき、画面を下に引っ張ると最新の投稿を取得できるPull to RefreshというUIがある。Twitterのクライアントアプリが最初に実装したものだと記憶している。Twitterでは投稿が縦に並び、上にあるものほど最新の内容になっている(当時は完全に時系列だった)。画面を下に引っ張ることで、さらに上にあるもの(=最新のもの)を取得するというのは概念として理解しやすい。また、最新の情報が欲しいときはあるが、タイムラインを見ている間は基本的に不要な要素である。更新ボタンをベタで置いてしまうとその分スペースが必要になり、画面が小さいスマホでは邪魔に感じてしまう。必要なときだけ必要な場所に現れるPull to Refreshは素晴らしく、その後Appleの標準のUIとなり各サービスで実装されるようになっていく。
メルカリを開くと商品が横3列のグリッドで並び、たくさんの商品が揃っていることがユーザーに伝わる。商品名はなく、写真と価格だけが並ぶ。商品名を表示するとそこで工夫して目立とうとする力学が生まれる。例えば「2/1まで値下げ中!」のような表記をしたくなる。これをやり始めるとゴチャゴチャして見るのに疲れるし、売るのにテクニックが必要と感じると初見が近寄りがたくなってしまう。メルカリとしては多くの人に売り買いに参加してほしい。メルカリ側が用意しているキャンペーンバナーも意図的に質素にしている。もちろんメルカリのデザイナーであればエレガントなデザインで作ることもできるが、それをやるとユーザーが撮った商品写真をそこに並べるのが申し訳なくなり出品のハードルになる。目指したい売り場の雰囲気があり、それに沿ったUIが考えられている。
相手を勝たせる
「降伏論」という本を読んだが、その中の「相手を勝たせる」という章が面白かった。
相手を上げたい場合、私たちはつい「〇〇さんすごいですね。自分なんか××で、〇〇さんみたいにできないです」というように言ってしまう。これは一見相手を褒めているが、実際は自分を下げることで相対的に相手が上がっている。そうではなく、誰も下げずに相手だけを上げる。
「自分ばかり話してしまいました、すみません」ではなく、「〇〇さんの話を聞く姿勢が良すぎてつい話しすぎてしまいました。ありがとうございます」と伝える。これは自分はそのままに相手だけを上げている。こういうコミュニケーションをしたい。
自信は良いが傲慢はウザい。謙遜は良いが卑屈は見てられない。自分を下げたコミュニケーションは、褒められたとしても良い気分にはならない。「いや、そんなことないですよ…」と相手をフォローせねばという気持ちでほとんどになる。
相手を上げるよりも「すみません」と自分を下げてしまう方が簡単にできる。しかし相手にストレートに上げたいときは「すみません」よりも「ありがとう」。相手を勝たせることを常に意識したい。