Feedback Loop
英語
1週間ほど仕事を休んでフィリピンに行ってきた。旅行中、英語について自分の中での変化を感じたので書いておく。
長い期間、英語を話すことに苦手意識を感じていた。よく覚えている場面は二つあって、一つは大学生のとき。大学のサービスで、昼休みにこの教室にいくとネイティブのスタッフと英会話できますよ、みたいな仕組みがあり、それに友人と参加した。30分くらいの間ほぼ喋れず、いくつかの言葉を捻り出すもスタッフから「喋るのが遅すぎておばあちゃんと話してるみたい」と言われた(今となっては友人と思い出して笑う対象になっているが当時は凹んだ)。
二つ目は社会人になってからで、出張でサンフランシスコに行ったとき。街中を船で移動する必要があって、次の船は何時?というシンプルな質問を聞けなかった。難しい単語や文法が登場する会話でもなく、たぶん「Next Ship?」とか言えば意図を汲んで教えてもらえたと思う。たぶん質問して応えてもらったときに聞き取れないのが怖くて聞けなかった。これが大体10年前のこと。
今回のフィリピン旅で、英語への抵抗がかなり薄らいでいることに気づいた。例えばホテルの部屋の空調の調子が悪いことをフロントに電話して修理をお願いする。カフェでコーヒーを頼むときにカフェインレスのものがあるか聞いて変更する。説明に分からない部分があったら有耶無耶にせず聞き返す、など。以前なら諦めたり我慢してたりしてた場面で、普通にというか、会話できるようになったことに成長を感じる。
この英語へのマインド面の変化がどこで起きたかというと、5年ほど前に行ったカナダ・バンクーバーでの体験がデカい。バンクーバーは一年の多くが雨で、「レインクーバー」と揶揄されるくらい雨がよく降る。それを知らずに計画していたプランは雨でほぼ崩れ、特にやることがないまま2-3日をホテル周辺で過ごした。さすがに暇すぎると感じて飛び込んだのが現地の英会話レッスン。カフェの一角で行われたこのレッスンは主催者の先生が6人の生徒に順に話を振っていく形式で、イディオムを学んだり、それを使って自分の体験を話したりなどを1時間ほど行った。生徒は日本人は自分だけで、他にはメキシコなど中南米の人が多かったように思う。そこで衝撃的だったのは、なんとこの生徒達のなかで自分が一番英語を喋れたということである。それまで「日本人は英語が苦手」というイメージにより、海外では通用しないんじゃないかという恐怖を常に抱いていた。でも第二言語として英語を話す人たちはみな英語を勉強して話していて、その立場は自分とまったく同じことにこの時初めて気づいた。みんなで英語を勉強しているなら間違うことを恐れて喋らないんじゃなく、たくさん喋って間違いをフィードバックしてもらう方が良い。カフェからホテルへの帰り道、レッスンを思い返してテンションあがりながら帰ったことを覚えている。
海外登壇の準備でNativeCampをやりまくったり、コロナ禍で暇すぎてTOEICの勉強をしてたりと定期的に英語を勉強してきたのももちろんあるが、自分の原体験としてはこのバンクーバーの英会話教室がデカい。日本語だといろいろ緻密に表現できるところを、英語だと語彙が少ないので自然とシンプルな表現になるのも英会話の楽しいところ。久しぶりの海外旅行だったけどまた行きたいです。
尾ヒレをつけない
パリオリンピックでは誤審が話題になった。男子バスケ予選の対フランス戦、ほぼ勝利が確定したと思われた最終盤で河村がファウルを取られて追いつかれオーバータイム(延長戦)へ。結局日本が負けることになった。
河村のファウルは素人目線でも体の接触がないように見え、試合後にXを検索してみた。今のは誤審、という声が多い。バスケ経験者の友達もあれは誤審だと言っている。やっぱりそうなのかと思いつつXを追っていると気になることがあった。誤審から派生し、「やっぱり女性審判は微妙だ」と言ったり、その審判の個人のInstagramにジャッジを揶揄するようなコメントを投稿したりしている人が多くいた。
誤審が問題なら、指摘するべきは決定機の判定にはVARを適用するとか、一試合一度しか使えないヘッドコーチチャレンジの仕組みを見直すとか、相手のホームで戦っているのだから判定びいきを考慮してディフェンスも距離を空けて行うべきだったとか、そういうテーマで話すべきなんじゃないか。それをジェンダーとか個人の問題にするのはかなり違和感がある。そこじゃないし、誤審という主張が変に曲げられてしまっていると感じる。
何か起きた時に意見を表面するのは良いことだと思うが、起きた事実に素直にコメントするのではなく、元から自分が持っていた主張をその出来事に絡めて表現することが多くなっている気がする。結論ありきの主張は聞いてて疲れるし、相手に届きにくいので改善にもつながりにくい。何かについて話すとき、尾ヒレをつけずにただ受け止められるように気をつけたい。
「何を作るか」のアイデアの作り方
仕事とは別で、趣味でWebサービスやスマホアプリを作っている。平日の夜や週末などに。作ることは楽しいし、うまくいけば広告やサブスクで収益をあげられるので良い趣味だと思うが、難しいのが「何を作るか」を決めること。自分の学びたい技術が何か、個人で作れる規模か、どれくらいの期間で作りきれそうか、便利なもの or 使っていて楽しいものか、それにお金を払ってくれる人はどれくらいいるか、Webで作るかアプリで作るかなど、とても多くの変数がある。
これまではその時々で興味のあるもの、関心のあるものを作ってきたが、継続してアップデートできているものもあればリリース以降メンテできていないものもある。その違いは何かというと「本当に自分が興味を持てているか」だと思う。
自分が憧れる作り方に、コツコツ改善していったらクチコミで少しずつ広がり、やがてヒット作になっていくというものがある。最初の数ヶ月はユーザー数が3人とかで鳴かず飛ばずだが、改善を続けていくと利用者数のグラフは右肩上がりになっていく。有名なところだとAirbnb、個人開発でいうとTODOアプリのミントなどが思い浮かぶ。振り返って語られるのは、初期のユーザー数は確かに少なかったが、その数人はとても熱量高く使ってくれていた、みたいなエピソード。誰か一人に深く刺さるものは他にも刺さる人が必ずいる。ただインターネットは広大なので対象者に届くまでに時間がかかる。それを待ちながら、自分のサービスを信じて改善していけるかがポイントになる。
一番良いのは自分が欲しいと思うものを作ることで、これは自分が熱量の高い最初のユーザーになれる。まず一人はユーザーを確保できることになる。こういう機能が欲しい、こういう用途で使いたい、というのも解像度高くわかっているので、誰かに刺さるものを作りやすい。最近読んだ「THINK BIGGER」という本にアイデアを出す方法が書かれている。
- 毎日の生活に起こる、解決したい課題を書き出す。苛立たしいもの、解決が待たれる課題はなにか。繰り返し登場するものは何か?
- 関心のあるテーマ、詳しく知りたいテーマを書き出す。情熱を持てる課題、課題解決を通じて学びたいことは何か?
- 毎日の生活で大切にしていることを書き出す。大切なこと、その時間をもっと充実させる方法はあるか?
この3つを一日の終わりに書き出す、というのを毎日やってみた。そこから生まれたのが、zenncastというAIラジオサービス。エンジニア向けの記事をAIがラジオにしてくれるというものだが、これは「AIに興味がある」「Podcastが好き」「情報収集の効率化」あたりの軸を重ねてできたアイデア。これは作っていて面白かった。
他にも、これは楽しく作れたな、という過去作を振り返ってみる。オンラインお絵かきアプリのお絵かきコラボは、子供の頃絵を描くのが好きでまた描きたいなという思いがベースにある。偶々YouTuberの方に取り上げてもらって大変多くの方に遊んでもらったが、リリース後半年くらいのユーザー数がほぼゼロの時期がなぜか一番楽しかった。アプリを見つけて試してくれた人と一緒に絵を描いたり、会社の同僚が入ってきて一緒に絵を描いり、自分が欲しい機能を自由に実装したり。楽しい時間だった。
最近つくったのだと「Relief」という日記アプリ。こちらはまったくユーザーはいない。日記の可能性を感じて作ったもので、書くことで心を落ち着かせる経験がもっと一般的になったら良いと思うし、何より自分がこういうアプリが欲しくて作っている。リリース後はあまりアップデートはできていないが、定期的に気になってアプリを見てはこういう機能もあったら良いよな、とか考えたりしている。モチベーションがいつまでも消えないのは、日記というテーマが自分にとって興味深い領域だからだと思う。
技術トレンドに乗っかろうとか、こういうサービスが海外で流行っているから真似しようとか、そういう動機で作ったものは長続きしない。リリースしてすぐに脚光を浴びるのはレアケースで、大体は自分ごとにしてコツコツ続けていくとある日花開くという図式な気がする(広告打ちまくるとか大企業の資本を使えば別)。自分は多くのユーザーに使ってもらうことよりも、あーでもないこーでもないとサービスの設計をしている時間の方が好き。興味のあることをテーマに、色々作って行けたら良いなと思う。
マルチタスク
年々マルチタスクが苦手になってきている。社会人5年目くらいまではドラマや映画をみながらプログラミングできていたが、最近はひとつひとつ取り組まないとあまり捗らない。最近読んだ本によると年齢を重ねるにつれてマルチタスクが苦手になっていくらしい。まさにそんな感じ。
年齢以外でも、目の前のことに集中するのが心地良いことに気づいた、というのがある。元々周りの人が考えていることを想像して慮ってしまう性格で、何かやっているときも周囲の目は何割かの意識で気にしていた。ある時からそれがしんどくなり、「ごちゃごちゃ考えるんじゃなくて自分のやるべきことをやる。自分に言いたいことがあれば言ってくれるだろう」というマインドに寄せていった。自分の人生を生きるうえでは、これは良い切り替えだったと思う。
数年前に心が落ち着かなかったとき、「マインドフルネス瞑想入門」という本を読んで実践した。姿勢を整え、目を瞑って10分くらい何も考えずに過ごすというもの。この何も考えないというのが案外難しく、仕事や将来の不安、過去の失敗など、自然といろんなトピックが浮かんでくる。飛行機や車の音など、外部環境からも集中を邪魔してくる。こうしたノイズを排除するのではなく、「仕事」「過去」「車の音」などとラベリングしたうえで、木の葉にのせて川に流していく(イメージで)。やってみて思ったのは日々暮らしていて「何も考えない」時間ってまったくなかったな、というもの。どこにでも持ち運べるスマホが便利すぎて、ちょっとしたスキマ時間もすべて何かできてしまう。1日3分とか5分でも、何も考えない時間を設けるだけで心の健康に効く気がした。
他人に気を遣いすぎるのは性質で、矯正するのは難しい。「考えすぎ」と言われても考えすぎてしまう。
自分の思ったことをそのまま発言したり、それゆえ周りから自由に物言いされたりする人を見ては憧れてきたが、各々のスタイルだな、と最近は思えるようになってきた。周囲に配慮できるのはそれ自体では良いことで、あとは自分がそこに引っ張られすぎないように気を付ける。「「静かな人」の戦略書」という本がベストセラーになるなど、気を遣いすぎる人の生き方みたいな情報も増えてきてる気がする。自分のやりたいことをやることと、周囲へのケアと。ここらへんのバランスは練習していきたい。
フィリピン
お盆明けくらいから休みを取り、フィリピンのセブ島に行ってきた。7泊8日。海外旅行はコロナ直前に行ったロンドン以来で約4年ぶり。
閉所や同じ場所でじっとしてるのが苦手なので飛行機移動に若干ビビっていたが、本を読んだり事前にダウンロードしたドラマを観ていたらあっという間についた。以前より体調がよくなっているのかなと感じる。ちなみにフィリピン航空は座席にモニターが着いておらず、そこで映画を観たりなどはできない(自分のスマホなどで観るっぽい)。国際線でもモニターがないエアラインもあることを知る。
旅行の負荷を軽減するもの。eSIMとGrab。eSIMは事前購入していて、現地着いて2タップくらいで繋がるようになり大変便利。Google Mapsを使わず観光していた頃ってどうしていたのか。Grabは配車アプリで、タクシーの値段交渉とかが超苦手な自分には大変ありがたい。行き先を先に入れておける、配車予約時に金額がわかる、ドライバーの評価がわかるのに加えて、安全にも配慮されている。一度渋滞にハマって車がほぼ停止したとき、「想定しない場所で車が止まってますが大丈夫ですか?危険を感じる場合はセンターに連絡してください」とGrapアプリに表示された。技術や仕組みで安全を担保していて素晴らしい。ちなみに東南アジアではGrabはめちゃ強く、Uberも撤退している。
ホテル、ショッピングセンターのスタッフなど限定的な人しか接してないが、みな楽しそうに働いている。例えばホテルの朝食会場で部屋の番号を伝えた時、その番号を歌いながら復唱する。Grabの車内ではドライバーの好きなHIPHOPのプレイリストが流れている。ショップにて、接客中も隙あらばスマホを触る。どれを買うかこちらが迷っているとき、じっと待つんじゃなくて店員同士で談笑したり誰かとチャットしてたりする。「お客様は神様」ではなく、サービス提供者と利用者とでフラットな関係がして自分には心地よかった。Grabのドライバーは運転しながら息子とボイスメッセージでやり取りしていて、自分はあまり使わないボイスメッセージのユースケースを見た気がした。
治安と衛生。フィリピンでは空港やフェリーなどのトイレにはトイレットペーパーがない。便座も外されてたりして結構ない。ホテルには完備されていたが、外に行くときはトイレットペーパーを常備する必要があった。
料理はどれもおいしかったが、よく虫が飛んできて気になる。おしぼりで手を拭きたい。道路は、バイクの3人乗りや小さいバスなどが走っていてそれを追い抜きまくる。横断歩道や信号がほぼないので歩行者が機を見て渡るスタイルになっており、注意の意図でクラクションを頻繁に鳴らす。あまり安心して乗っていられなかった。現地で生活していたらすぐ慣れるのかもしれないが、このあたりは日本在住により基準が高くなっているな、と改めて実感。
旅行は全般的に大変楽しく、あっという間に終わった。楽しい時間はそのときは短く感じるが、あとから振り返ると長く感じるという。まさにそんな感じで、普段何気なく過ごす一週間とは密度が違った気がする。
おいしいご飯、きれいな海、プールの中にあるカフェバー。観光らしい観光をしたり、英語をたくさん話したり、良い時間になりました。ありがとうセブ島!