年の瀬
2024年も残すところあと一日。普段リモートワークで家から働いているため仕事締めの感覚があまりないが、友人と会ったり街のお店が曜日閉まっていくのをみて年の瀬を感じています。
実家にいると色んな音が鳴っている。テレビ、ゲーム、スマホから流れるYouTube。いつからか色んな音が鳴る空間だと落ち着かない体になったが、昔はここでテスト勉強したりしていたと思い返して驚く。YouTubeは好きなものを見れて飽きたら自分のタイミングで辞められるが、テレビのチャンネルは変える前に周囲に許可を取る。こういう細かい経験で協調性のバランスを学んでいたような気もする。
甥っ子も大きくなり、私の両親(彼にとっての祖父や祖母)と話すときに敬語を使うかどうかで戸惑っていた。それを聞いて懐かい思いが込み上げた。自分も昔そうやって悩んでうまく話せなくなったことがある。どっちが正解とかはないけど、これまで通りタメ口で距離が近い方がみんな喜ぶんじゃない?と伝えた。相手が喜ぶ方を選べば良い。昔の自分に伝えたかったことでもある。
毎年年末にはその年読んだ本のまとめをnoteで書いている。昔からのバイブルだと思っていた本が今年読んだものだったり、月によってまったく本を読んでない期間があったり、毎年驚きがある。履歴をたどると興味関心の移ろいを感じられるのも面白い。読書家のみなさんも年末によくまとめを書かれてるので気になるものをポチポチと買っておき、年始に備える。自分の好奇心に従い、学ぶ姿勢を忘れずに来年も過ごしたい。
M-1グランプリ2024
年末の風物詩となったM-1グランプリ、今年も楽しく拝聴。今年は20周年というのもあってか例年に比べて煽り動画がYouTubeに大量に流され、本番前から盛り上がりの空気を感じていた。自分の好きな真空ジェシカ・エバース・バッテリィズが勝ち上がったこともありワクワクは大きく、午前のうちに買い出しをすませて敗者復活から通しで観た。
大会としては近年の中で一番の盛り上がりだったように感じた。実際10組のネタはどれも面白く、自分の好きなコンビもあまり良さが分かっていなかったコンビも爆笑させてくれた。令和ロマンの2連覇よりは新たなスターを見たい気持ちがあったがそれでも納得の面白さ。エバースのネタは何度も見返して笑っている。一番笑ったのは真空ジェシカで、1本目はちょっと泣くくらい笑った。でもよく見返してるのは2本目で、ダレノガレのタメ口のくだりを調べてまた笑うなどしている。
ここ数年の恒例として、M-1の感想戦をPodcastでしている。3人で各組の感想や個人的な順位などを話す。採点しながら見るお笑いファンは痛いとウエストランド井口あたりが言っていた気がするが、色んな楽しみ方があって良いと思う派なので気にしない。Podcastで振り返っていると自分では気づかなかった面白さなども知れて面白い。恋愛リアリティショーや公開オーディションなど人と盛り上がる形式の番組が増えているが、自分にとって最大のそれはM-1グランプリかもしれない。
M-1後もアナザーストーリーだったり、出演者や審査員の振り返りを聴いたりして余韻も長い。キングオブコントやR-1、THE WにTHE SECONDなど色んな賞レースが増えているが、やはりM-1が金字塔。かなり気が早いですが来年も楽しみです。
データ・数字との付き合い方
ロジックの積み上げで決めていると他人と同じ結論をなぞることになる。自分の直感、信じるもののエッセンスを加えたい。ただ人間にはバイアスがあり信じすぎると視野が狭くなる。客観的なデータはそんなとき役に立つ。
すべて感覚で判断していると、リスクを大きく評価しすぎてしまい身動きが取れない場合がある。失敗した時にどうなるか、金銭面や時間面で数字を計算してみる。失っても痛くないならやってみればよい。リスクを取らないのは安全ない感じがするが、チャレンジすれば得られるはずだった機会を失っている可能性がある。
すべてデータで判断していると、自分の拠り所を失う。客観的データが道を示してくれることはない。良質な前提は揃えられるが、決断するのはあくまで人である。データはいまの状況を表す。未来をこうしたいという望みは反映されていない。
人を説得するときは客観的な情報を集めようとする。個人的な意見を言うよりその方が納得感は高めやすい。でも最終的に決めるのはやはり人や集団に属人化している。「それってあなたの感想ですよね?」という揶揄があるが、判断においては自分なりの根拠てわ感想を言えていればそれで良い。
「結論から話す」は本当か
とあるPodcastで結論から話すことの是非が語られている、と友人が教えてくれた。「結論から話す」は仕事術の1ページに書いてあるテクニックで今まで疑ったことはなかったが、確かに振り返ってみると必ずしも正解ではない気がする。まだそのPodcastは聴けてない状況だが、今時点で思っていることを書いてみたい。
何か相談されるとき、結論だけを言われてもそれをどう受け止めればよいのか分からない。その後に続く話を最後まで聞き、その結論で良いのか判断するならば最初に話された内容を最後まで覚えておく必要があり脳を余計に使う。流れがあって結論があるのが普通の思考の流れだと思うので、結論から提示するのはむしろ逆のことをやってしまっている感がある。
結論ファーストが嬉しいときもある。それはその議題について何度か会話済みのよく知っている状態で、後はどう結論を出すか決めるだけのシーンである。こういう場合は過程はよく知っているので、まずはどの選択肢を選んだかの結論、それからその理由の順で知りたい。先に「これを選んだ」という箱を置いて、そこに理由を詰める形で聞くとスムーズに理解できる。
口頭以外でいうと、テキストコミュニケーションにおいては常に結論ファーストで良いかもしれない。チャットツールなどに書かれたテキストを読むとき、まず自分に関係ある情報なのかを判断する必要がある。結論が冒頭にあることでそれより下の情報の読む・読まないを判断できる。テキストなら読む順番は読み手に任せられてるので分かりやすく構造化して置いておけば良い。先に結論、それから補足事項を箇条書きなどで端的にまとめるのが読みやすい。
自分から語る場合はこのようなところだが、誰かからの質問に答える場合は結論を最初に言うのが良い。このタスクってもう終わってる?などのYes/Noで答えられる質問にダラダラと喋っていてはキャッチボールが成立しない。基本的にはシンプルに答えることを心がけたい。ただ、仕事ではYes/Noの二択でハッキリ答えられる質問は意外と少ない。条件つきYes、今時点では判断できないという回答になる場合も多い。正論より納得感が重要な場面もあり、そういう場合は理由から入って最後にマイルドに結論を伝えるが仕事が進む。
結論から話すべきかどうかに最適解はなく、ケースバイケースによって対応を変えることが求められる。その基準の見つけ方は聞いた相手がどう受け止めるかを想像する時間を持つこと。メッセージは相手に伝わって初めて意味がある。相手のわかる言葉で・受け入れやすい言葉で・聞きやすい形で伝える。曖昧で個人に依る部分が大きいが、人と人とのコミュニケーションは大体そんなものである。
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」はアメリカの元大統領リンカーンの言葉。顔は親から与えられるものであるが、40歳を過ぎる頃には過去の経験や自信が顔に現れるようになる。実際に有能な閣僚候補がいたが顔つきが悪いという理由で見送ったこともあるそう。
この言説には同意する気持ちが多い。よく笑う人は口角があがった顔になるしよく怒る人は険しい顔つきになる。1万回同じ動作をするとシワになるという話も聞いた。どんな時間を過ごし、どう考えてきたかは顔つきに現れる。それは美醜ではなくその人の雰囲気を作り上げる。
昔いいとものコーナーで「人相統計学」の専門家なる人が出演していた。人相統計学は例えば額の大きさや眼と眼の間の距離などから統計的にその人の特徴を分析するというもの。その時は「こういう顔の人は犯罪者が多い」みたいな話をしていて、そんな顔の特徴だけで決められてはたまったもんじゃないと思った記憶がある。ただ顔が似ていると性格が近しいのはある気もしていた。その人の過ごした時間が顔つきに出ているから、というリンカーンの説明は納得感が高い。
楽しいから笑顔になるのか笑顔だから楽しくなるのか。最近読んだ「感情の哲学入門講義」によると感情は身体反応と連動するらしい。例えばマッサージをすると体の強張りが取れる。体が緩んでるのはリラックスしている時の状態なので、それによりリラックスした感情が訪れる。怒る気持ちが溢れそうなときは深呼吸をする。呼吸がゆっくりのペースになれば連動して感情も落ち着く。同じ現象を受けてもどう受け止めるかは人それぞれ。40歳ももう目前、冒頭の言葉は心の片隅で覚えておきたい。