楽しい時間は早く過ぎるが振り返ると長く感じる

2024/12/25

1日は24時間と決められているが個人の感じる時間感覚は必ずしもそうではない。同じ15分でも久しぶりの友人と会っている時はあっという間に、遅延した電車を辛抱強く待っているときは永遠のように感じる。人によって体感する時間は違う。ではどのように違うのか?

瞬間瞬間の感じ方としては楽しい時間ほど早く過ぎる。仕事でも趣味でも没頭しているとすぐに時間が経つ。逆に退屈なことをやらされていると中々時間の進みは遅く感じる。長期的に振り返って考えるときには、楽しかった時間は密度が高く長かったように感じる。1ヵ月でこんなに色々やっていたのかと驚くこともある。何もせずダラダラ過ごした日々は振り返ったときに短く圧縮されて感じる。楽しい時間は瞬間的には短く、振り返り時には長く感じる。この違いは面白い。

年末になると1年を振り返る機会が増えるが、最近はその年に読んだ本の振り返りをするのが習慣の一つになっている。定点観測の機会を設けておくとその年の長さを測りやすい。昔からの愛読書だと思っていた本が実は今年の2月に読んだ本だったりして、自分の時間感覚は本当に当てにならない。どうせなら濃い一年だと思いたい。新しいことへの興味や挑戦が日々を濃いものにしてくれる。

仕事で使っているタスク管理ツールの機能を使い、各タスクが完了するまでの時間を計測する動きが一時期あった。膨大な時間がかかると思っていたものが意外と2日で終わり、逆にすぐ終わると思っていたものに数時間かかることがあった。見積もりは本当に難しい。仕事の可視化という意味では24時間という客観的な時間に落とし込むのが便利な場合もある。ただ自分としては主観的な時間、楽しいとか退屈とかそういった個人的な時間感覚の方を大事にしたい。


依存と自立

2024/12/25

「何かに依存している」と聞くと危うさを少し感じるが、私たちは一人では生きれず何かに依存せざるをえない。良くないのは特定の何かだけに依存している状態で、こうなると自分の気分や感情が相手に左右されすぎてしまう。振り回されると自分の人生を生きられず自己効力感が低下する。

自立とは誰にも頼らず生きることではなく、いろんな人やモノに細かく依存すること。繋がる先が多数あればある関係がうまくいかなくても別でカバーできる。急に人と会う予定がなくなっても別の趣味があればダメージは少ない。大切に思える持ち物を増やしていくのは幸福に繋がる。

人に頼る、人に甘える。大切な人に頼られるとうれしい。まずはどちらかが心を開いて歩み寄る必要がある。関係を長く続けたい人には素直な心で頼ってみる。相手の都合で断られることもあるが、それでも「あなたと頼ったら頼られたらしたい」というメッセージは残る。

大人になっての交友関係は意識しないと途絶えていく。関係を切りたくない人にはこちらから声をかけるようにしたい。コミュケーションは重さより頻度。内容はなんでも良い。


コンプレックスを武器に

2024/12/24

コンプレックスを克服する話は人を惹きつける。例えばあるアーティストが声変わりせずに高い声を周囲から揶揄されるも、それを歌声として活かしてヒット作を連発する。マイナスなこととされるものでもそれは単なる特徴で、社会がそれをネガティブな要素だと判定している。勝手に決めつけてくる周囲の眼差しを特徴を活かして突き抜けていく様は美しい。

こう思うのは誰にでもコンプレックスがあるからだろう。身体的特徴でも過去の実体験でも、人に言いづらいキズは誰しもが持っている。周りの人と比べては足りない部分を確認してしまう。SNSが流行してからは比較する対象、機会がとても増えた。コンプレックスの克服、嫌いだった部分がやがて自分を救ってくれるというエピソードは耳心地が良い。

しかしそうそう綺麗に伏線が回収されることはなく、実際にはコンプレックスは抱えている時間の方が長い。この時間は辛いが、最初は目を逸らしてもよい。落ち着いて向き合えるようになったら日記に書いたりして言語化してみたらよい。人に話せるくらいに過去のことになれば、信頼できる友人にだけ打ち明けてみたらよい。ラッパーのR-指定も自分の内面と向き合うプロセスを「最初は自傷行為だが、やがてセラピーになる」と表現している。この痛みの先にはどこかに出られると信じ、時間をかけて付き合っていくしかない。

何かに苦しんでいるとき、自己効力感を回復させることを優先したい。仕事でも趣味でもなんでもよいが、「自分にもできることがあるな。これは得意だな」と思える何かに時間を使う。エネルギーが不足しているときに挽回しようとしても中々うまくいかない。しんどい時はまず回復。自分に栄養を与えるような行動を意識する。エネルギーが充満すれば自然とまたやってみようかという気になる。それから再チャレンジするのでもまったく遅くない。


嫉妬から逃れる方法

2024/12/23

感情の哲学入門講義」を読んだ。哲学の入門本で元々は大学の講義で扱った内容をまとめたものらしい。ソクラテスやニーチェなどよく聞く哲学者の名前は一切出ず、身近な例を挙げながら哲学とは何か、感情とは何かを深掘りしていく。本の冒頭にもあるが全体を通してくだけた話し口調で書かれていて読みやすい。

本の中で嫉妬に関する記述がある。誰かに嫉妬するには二つの条件があり、ひとつは自分が他人より劣っていること。そしてもう一つは「その人が得た利益は自分も得られたはず」と考えること。自分より優れた人は世にたくさんいる。しかし全員に嫉妬の気持ちを抱くことはなく、オリンピック選手やソフトバンクの孫さんなどは異世界の人物として素直に応援できる。どんな場面で嫉妬を抱くかというと、同期が出世したとか、自分も思いついてたアイデアで誰かが成功したとか、自分にも手が届きそうだと思える事象に対して嫉妬する。この言語化は個人的に面白く感じた。

ではどうすれば嫉妬から逃れられるか?それは「他人が受けている利益は自分が得られるはずのものではない」と自覚すること、と本には書かれている。例えば人気のYouTuberを見て「この企画は自分でもできそうだな」と思う。しかし本当にすごいのはその動画を撮っていることではなく、日々企画を考え、誹謗中傷が飛び交うインターネットに顔を出して勝負し、視聴者数がいないときでも継続して更新し続けるその姿勢である。それは自分にはできないと思えればそこで嫉妬は取り除かれる。表層ではなく裏側のプロセスを見る。一朝一夕で得られる報酬はない。

序章で触れられるそもそも哲学とは何か、という話題も興味深い。何かの主張に対して「このパターンは?」「こういうケースでも同じことがいえる?」と疑問や反論をぶつけ、その考えを吟味していくのが哲学らしい。「答えが一定に定まらない」と「どんな意見も認められる」は別のこと。多様性という言葉を聞くと「みんな違ってみんな良い」と近しいものがあるが、ビジネスシーンではその捉え方は難しい。ビジネスでは売り上げなどの結果が明確で前に進む必要があるからだ。多様性を活かしてどう前進させるかを考えていたが、「いろんな角度から吟味する」ところに関係がありそうだと感じた。多様な観点で検証できた方が良いブラッシュアップができる。最終的に全員に配慮した案になるわけではないが、プロセスが磨かれる。思いがけずそんなヒントを得た。


日本で一番自殺率の低い町

2024/12/22

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」を読んだ。著者が日本の市区町村で自殺率の低いところを探していると、徳島県のある町(海部町)が目に留まる。近隣の町を見てみると特段自殺率が低いわけではない。病気など不安の種自体は等しくある。では、何が自殺率を減らす要因となっているのか?著者は実際に町で暮らし、住民と関わる中でその因子を発見していく。最近読んだ本の中でも抜群に面白く、一気に読み終えた。

町の人と話したり特徴を調べたりするなかで、著者は5つの因子を見つける。例えば「赤い羽根募金が集まらない」。海部町では近隣よりも募金が集まらない傾向があるらしい。自殺が少ないと聞くとなんとなくハッピーなイメージを持ち、募金はよく集まるものかと想像するが実際は逆。「この募金が何に使われるかよくわからない」と参加しない。逆に町の祭りなどにはお金は出す。他の人がやってるからではなく、判断の拠り所が自分にある。

うつ病の受診率が高いというデータも見つかる。他の町では「うつ」が周りにバレないようにと考えるが、海部町では誰々がうつになったらしい、じゃあお見舞いにいかないと、とオープンにやり取りされる。これを嫌に思う人もいるかもしれないが早い段階で明るみに出されるのは良い面も多い。うつ病を認めにくいのは周りの目など社会的な環境が大きい。周りから特別視されず、治療後は普通に同じように働ける環境であれば受診を妨げるものはない。

海部町には「病、外に出せ」というスローガンがある。困ったことがあったら早い段階で公にする。そうすると対処方法や良い医者など、助けとなるための情報が集まる。明らかに良いサイクルだが、これを実現するのは中々難しい。外に出しても周りから嫌な目で見られない、外に出すと助けが得られるという成功体験を得る、外に出すのが良いことだというコミュニティの雰囲気があるなど、条件が揃って初めて成立する。海部町では歴史的な経緯によるところもありこれが成り立っている。

ここまでの内容だとコミュニティの助け合い精神が高い印象を受けるが、アンケートではそういう結果にはならない。むしろ近隣の町の方が直接的な助け合いには重きを置いている。海部町はどうかというと、困ったことがあれば助け合うが普段はそこまでコミュニケーションは取らない。でも挨拶はよくする。縁側や公共施設など、"街のサロン"となれる場所がたくさんある。そこでできる「ゆるいつながり」がこれらの文化を支えている。

会社のオフィスでも優れたコラボレーションは自販機やウォーターサーバーでの会話から生まれるという話を聞いたことがある。無理に各職種を集めて会議をしてもアイデアは出ない。偶然顔を合わせる場所を作る設計が重要で、そこで挨拶をして育まれた関係性が別のところで花開く。大企業ではスポーツや趣味などの同好会が作られ、部署を超えたゆるいつながりに一役買っている。エンジニアの勉強会では社外の関係性が作られる。こうしたゆるい繋がりは大切にしたい。

いま働いている会社は「オープンでいよう」というバリューを掲げており、実際そのような文化が実現されている。困ったことがあってチャットに書き込むとすぐに誰かからヘルプが来る。それを周りの人は見ているので、助けてもらえそうな雰囲気を感じ取って次に自分が困ったときは書き込みやすくなる。文化は日常の小さな積み重ね。言語化して方向性を定め、行動で示すことで組織に伝播していく。

多様な価値観を尊重しようとすると、相手のプライベートゾーンに踏み込まずに手前で線を引いて仕事の話だけに割り切った方が簡単かと思う時がある。でも本当に働きやすい空間ではお互いに関心を持つ。配慮は必要だが、相手を知りたいと思う気持ちにフタはしなくて良い。