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習慣に関するNのこと
昨日仕事終わりに本屋に立ち寄った。ふらふらと本を眺めていると目に留まったのが習慣本のコーナーで、習慣についての本がこんなにたくさん出版されていることに驚いた。習慣が人生を変える、その習慣があなたをダメにする、統計からみる習慣、etc...。実にさまざまな角度から習慣について触れられており、自分の知らない間にひとつのジャンルになっていることを知る。
私が読んだ習慣本のなかで一番心に残っているのは「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」で、今でも参考にしている考えが多々ある。習慣はできるだけ小さくする、場所に紐づける、何かの行動と行動を関連づけるなどなど。特に面白かったのは習慣に対するご褒美の話で、例えばダイエットを目標ににする場合、3ヵ月続いた褒美としてデザートを自分に与えてしまうとうまくいかない。これは習慣で達成したいものとデザートとが正反対のベクトルを向いているから。そうではなく、ダイエットのご褒美としてはマッサージやスパなど体を良くするものが相応しい。同じ方向性のもので揃えるのが大事。
三日坊主についての記述も面白い。習慣化しているとどうしても面倒になるときが来る。もし習慣が途絶えてしまった時はどうするか?できるだけ早く、小さく再開することが重要と著者は言う。例えばランニングに行けなかった次の日は必ず外に行く。ランニングするのが一番だが、それが億劫な場合はランニングウェアに着替えるだけでも良い。昨日できなかった分も、と今日を気張る必要はなくただすぐに再開することが大事らしい。また、三日坊主になっても三日は達成できたという考え方もできる。習慣の行動は「自分がなりたい姿」へ一票を投ずることだと表現しており、この表現は自分的にしっくりきてよく思い出す。ギターの練習を1ヵ月してなくても音楽を諦めたことにはならない。習慣や目標の設定を自分に合う形にできなかったまでで、やり方を工夫してまた再開すれば良いだけである。
習慣は朝に終わらせるというのは「続ける思考」という本の影響だ。こちらは上述の本に比べるとメソッド本の様相が強く、読書体力が少ないときでも読みやすい。著者の井上さんは本の装丁をつくるブックデザイナーで、毎日朝起きて空の写真を撮り、瞑想し、ストレッチし、1本映画を観て感想をブログに書くなど、いろいろな習慣を20年以上続けている。習慣というと自分を律する力が必要に感じるが、井上さんは新宿で朝2時まで普通に飲んでたりする。それでも朝になったらいつもの習慣が始まる。帯に「これならできる」と書かれているが、確かにそんな感じがする。最近は朝のうちに大事な仕事を終わらせるというのを意識しているが、それはこの本から影響を受けている。
習慣形成に有利なものとして「誰かと一緒にやる」という条件がある。ここ数ヶ月は毎日朝散歩に行っていたが、それは友人と待ち合わせて一緒に行くことで続けられていた。いろいろな環境の変化で友人とは行けなくなり、最近は自分ひとりで行っている。そうなると途端にリズムが崩れて行けない日が増えた。何か習慣化の工夫をしないとなぁと考えている。毎日の時間の使い方が人生を決める、みたいな大層なコピーにはあまり共感できない。毎日続けられる仕組みをつくるゲームくらいに捉えるのが自分にはちょうど良い。
AirPodsを新調した
AirPodsを新調した。AirPodsはProをかれこれ5年ほど愛用している。MacやiPhoneなどのデバイスとの連携のスムーズさ、強力だが違和感のないノイズキャンセリングなどで重宝していたが、先日の飲み会の帰り道に片耳を落としてしまった。iPhoneには「探す」という機能があり、どこにあるかは特定できたのだが、鉄道会社に問い合わせても見つからないということで已む無く断念。新調する運びとなった。
AirPodsがない期間、思ったより生活のレベルが落ちた。まずMacとiPhoneでイヤホンの端子が違うので外出時には2つ持ち歩かないといけない。カバンの中でコードが絡まりすぐ取り出せない。Podcastを聴きながら散歩や掃除をするのを日課としているが、線に体が触れてイヤホンを引き外してしまう。細かいことではあるが、ワイヤレスを一度知ってしまうとストレスに感じる。最大はノイズキャンセリングで、電車やカフェで音を遮断したいときに大変困る。私は周囲の大きな音に敏感で疲れやすく、ノイズキャンセリングがないと如実にパフォーマンスが落ちてしまう。これはダメだなと思い、Appleのサイトを開いてAirPodsを買うことにした。
AirPods Proの一番新しいモデルの価格は4万円。思ってたより高くて腰が引けるが数年間お世話になったこと、そして一度水没させてしまいギリギリのところで使っていたことを考えると買い替えどきではあったかもしれない。Apple Storeで買うと翌日朝にはもう届いた。日本の物流すごすぎるな、と先日見た映画「ラストマイル」に想いを馳せる。
「AirPods Pro 2」はいろいろアップデートされていた。無線充電時に音が鳴り、周囲の人に話しかけられると自動的にボリュームが下がる。装着時、イヤホンをなぞって音量の上下ができる。友人によれば充電ケーブルがUSB-Cになってるのも良い点らしい。充電効率などはあまり詳しくないが、iPhoneやiPad、Macなどと共通のケーブルで充電できることは喜ばしい。早速つけたまま部屋を片付けたり近くを散歩したりする。音楽とPodcastが日常に戻ってきた。
どんなエンジニアになりたいか?
Webエンジニアという職業はいろんな道がある。会社では組織づくりに進むマネージャーキャリアと専門スキルを磨くプロフェッショナルキャリアが用意されていることが多いが、一人一人の活躍の幅はもっと広い。GitHubでOSSライブラリを作る、コミュニティの勉強会で登壇する、海外企業で働く、自分のプロダクトを作るなどいろんな選択肢がある。
私はまわりに影響を受けやすい。勉強会ブームの頃は会社の勉強会を企画したり社外勉強会に意欲的に参加していたし、有名なOSSライブラリの作者に会えばそれに憧れて自分なりのライブラリを作って公開してみたりもした。社内で尊敬する先輩がサービス責任者をやればそれっぽい動きをしてみたりと節操がない。今思えば自分は絶対その道ではないと思うことも、好奇心のままに試してみた。
印象に残ってる会話が二つある。ひとつは私が3年目の頃、後輩との会話で「ひまらつさんはどういうエンジニアがカッコいいと思いますか?僕はGitHubでスターをたくさん稼ぐ人がカッコいいと思ってます」と言われたとき。その頃の自分は憧れた全員になろうとしていたので、自分なりに目指す道を決める必要があるんだな〜という当たり前のことに気付かされた。もうひとつは数年前の友人との会話で、そのとき私は海外で働くことに憧れがあった。専門スキルを磨いて海外で働くのカッコいいよねと私が言うと、その友人は「そう?俺は自分のプロダクトで食っている人がカッコいいと思うけど」とすぐに返した。
どの道でも目に留まるのはその方向でうまくいった人で、その活躍は輝いて見える。引力があり真似したくなる。ただ自分がそうなれると幸せかというと微妙で、そこに行き着くまでには相当な努力が必要だ。その努力が苦じゃないか、楽しめるかが自分に向いてる道かどうかだと思う。幸せはどこまでいっても自己的なものでしかない。他人からの評価が高まると何かに成功した気分になるが、翌日にはその評価の上下に怯えることになる。自分の好きなことに夢中になっていれば周りがどう評価しても気にせず打ち込める。
自分がどんなエンジニアになりたいか?考えてみると、やはりWebサービスを作るのが好きだなと思う。企画やデザインを考えて自分で実装する、この一連の作業が楽しい。これは夢中になって打ち込める。そんなことを考えながら先日ネットサーフィンしていると、とあるサービスで、社会人になりたての頃に作った自分のアカウントが見つかった。アカウントには自己紹介を書く欄があり、そこには「たのしいものをたのしんでつくる」と書いてあった。周囲の状況や業界のトレンドは変わるが、自分が大切に思うものは昔からそう変わらない。
瞬間的に憧れることが少なくなった
私は人に憧れやすい性質で、一緒に働くデキる人や業界で活躍している人をいつも羨望の眼差しで見ていた。だが最近はちょっと変わってきていて、ひとつの出来事ではなかなか判断できないな、と感じている。
例えば何かのサービスを作ってそれがバズったとして、大事なのはその後ちゃんと良いものに磨いていき数年後も愛されるサービスであること。例えば何か素晴らしい仕事をしたとして、大事なのは環境や時代が変わっても同じように活躍できるかということ。その瞬間の「点」ではなく、連続した「線」で評価したいという気持ちがある。
こう考えるようになったのは、社会人として十数年過ごした時間の長さによるものだと思う。色々な人や物事がバズっては消え、またバズっては消えていく。世間は新しいものを求め、すぐにそれを消化して飽きていく。コロナ禍にClubhouseというサービスが流行ったが今私の周りで続けている人はいない。一世を風靡したFacebookですらもう見なくなった。その時代を象徴するサービスを作れたことは偉大なことだと思うが、過去ほどは憧れなくなってきた。
「人生後半の戦略書」という本を最近読んだ。優れた仕事をした作家や研究者はたくさんいるが、彼ら全員が幸せだったかというとそうではない。職業のスキルは30代後半から50代前半にかけて落ち込む傾向にあり、この時期は若い頃の自分を超えられない葛藤に苦しめられる人が多いそう。早い時期に大きな成功を収めた人ほど影は大きくなり、富と名声があっても人生の幸福度は低くなってしまう。本の中ではそれを避けるために無防備な自分をさらけだしたり、深いテーマについて話せる少数の友人を探したりなど具体的なアドバイスが紹介されている。
業界で華々しく活躍する人に無条件で憧れることが減った一方で、身近な人のことをよく見るようになった。自分の好きを継続している人、価値観をアップデートし続けている人、自分のスタイルを確立している人。世の脚光を浴びずとも良い仕事をし続けてる人はいて、そういう人には相変わらず憧れて影響を受けている。それは健全な羨望ともいえそうで、自分一人では凝り固まってしまう頭に良い刺激を与えてくれる。
センスとロジック
センスとロジック。何か良いものを見たとき、それを分析するまでもなく良いと感じる。まず最初に良いと感じ、その知覚の後にはじめて言語化として良い理由や特徴を挙げることができる。
Webサービスを作るときは感覚と論理の両方の脳が必要になる。心地よいアニメーションをつけたり、居心地が良いと思える空間づくりは感覚的に。クチコミが広がる仕組み、売上があがるロジックは論理的に。完全にどちらかに振れるものでもなく、実際はグラデーション。アニメーション時間や色使いもロジックで積み上げることができるし、サービス拡大の仕組みも「人がこう思うから」など感性的なアプローチだったりする。センスを分解したのがロジックで、目に見えない細かいロジックの積み重ねがセンスになったりもする。
チームで働くとき、言語化の力、つまりロジックがより必要になる。全員で同じ方向を向いたり、納得感を持って進めるためには明文化・明確化することが必要。センスは言語化できない場合も多いので必然的にロジックへの比重が高まる。説明上手になるのは良いが「なんとなく良い」「なんか嫌に感じる」という素の感覚も大事にしたい。まだ言語化ができないだけで、それも重要な自分のアンテナの一つだ。
チームでもセンスで決められる場合がある。それはメンバーが近しい感性を持っていて、「なんか良い」「わかる」と言語を挟まずとも一体になれる場合だ。Official髭dismやSEKAI NO OWARIはかつてバンドメンバーでシェアハウスをしていた。同じ映画を観る、同じ料理を食べると感性は自然と近くなっていく。お笑い芸人のロングコードダディの2人は若手の頃同じ家に住んでいた。何を面白いと感じるか、どういうことで笑うかを知れたあの時間が今に繋がっているとインタビューで答えている。一緒に住むのは中々ハードルが高いが、仕事でも長年一緒に働いた人とは思考が近しくなる。言語化できない部分でも合意がとれ、感覚的な要素も取り入れやすくなる。
山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』という本がある。かつて経営者はMBAを取っていたが、今はアートスクールに通うことが増えているらしい。MBAで学べるのはロジックで、ロジックは基本的に誰が使っても同じ結論を導き出せる。昔は前提情報の多寡があったが現在はインターネットの発展により誰でも簡単に情報にアクセスできる。そうなるとロジックでは差別化が難しくなり、いまはアート的な発想を伸ばそうと芸術を学ぶ機会を求めているそう。ロジックは正しいがそれだけでは面白味が薄い。センスは美しいがそれだけでは人を巻き込む力が作りにくい。自分の感性を大事にしつつ足回りはロジックで固めていくような、白黒ではない両取りの姿勢で構えたい。