相手をコントロールしようとしない
人に期待をしても良いがコントロールしようとしてはいけない。こう動いてくれ、と思いすぎると実現されなかったときに辛くなる。期待をかけるのは自由だがそれに捉われない。上手くいくとラッキーだな、くらいのニュートラルな気持ちをキープする。
北風と太陽でお馴染みのように、外圧で人を変えるのはほとんどの場合上手くいかない。他人から押し付けられたものでは花開かない。本人が納得して、自分の意思で行動して初めて成功する可能性がある。ビジネスの現場でもティーチングよりコーチングが重視されている。内省を促し、相手の内発的なモチベーションを高めるのが主流になっている。
もしチームや組織として目指したい方向があったとして、実際できるのはそれを繰り返し言い続けることぐらい。そこに行きたい理由をオープンにすべて話し、期待する行動はどのようなものかを明確にする。それに周りがついてくるかは相手次第。掲げられたものへの共感が高まれば人は行動する(その人の意思で)。キングダム31巻の蕞(さい)の戦いでもそんな描写がある。檄を飛ばして士気を高めるのがいつの時代もリーダーの仕事。
「自分がされて嫌なことを人にしない」はウソ
小学生の頃、教室の黒板横にスローガンが掲げられており、そこには「自分がされて嫌なことを人にしない」と達筆な字で書かれていた。今思えばこれは違う。正しくは「相手がされて嫌なことをしない」。自分と相手で嫌に思うことは違う。
外で遊ぶのが好きな子もいれば体を動かしたくない子もいる。何でも話したい人もいれば必要なことだけぽつりと話したい人もいる。人に危害を加えるなどは勿論ダメとして、物事の捉え方は人それぞれ違う。例えば自分は何かに集中して入りこんでいる時に話しかけられるのが苦手だが、別にいつでも話しかけてもらえたら嬉しいという人もいる。自分を基準に考えると選択を間違える場合がある。
相手への気遣いの範疇であれば間違いも良いが、怖いのはこの理論が反転すること。つまり「この人は自分にとって嫌なことをしてくる。相手も分かってるはずだから、自分に嫌がらせをしたいのか?」と考える。実際はその人としては全然悪意はなく、当人にとって自分がされても嫌に思わない行為の場合がある。社会人になってからこういうすれ違いを多く目撃するようになり、自分と相手を対称で考える危うさを感じている。
目指したいのは「相手がされて嫌なことをしない」。でも他人のことは分からないので難しい。ではどうすれば良いかというと、その人に聞くしかない。相手の話をしっかり聞き、反応を伺い、慎重に距離を縮める。その人をよく知るとその人視点で考えられるようになる。あとは自分もいろんな経験をすること。良い経験もそうだが失敗などのマイナスの経験は特に自分の糧になる。病気になった人のしんどさは病気になったことがある人しか分からない。痛みや弱さを知ると人の心に寄り添えるようになる。
デザインとアートの違い
デザインは目的がある。例えば特定の層にメッセージを訴求、望むイメージを持ってもらう、困ってるユーザーに機能を提供する。アートには目的は必要ない。ただ表現し、見る人がそれに意味を見出す。
デザインの語源は「de」(削る)「sign」(示す)。在るものを削り、引き算により本質だけを残すことで分かりやすくする。アートは自分の内から生み出す。最近読んだ本では西洋と東洋でアートの捉え方が違うらしい。西洋は積み重ね、つまり足し算で作品を作っていくのに対し、東洋は最初からそれはあり、削ることで浮かび上がらせるようなイメージらしい(仏像を彫るなど)。そう考えるとデザインの発想は東洋の方が得意だったりするのだろうか。
Web業界のいう「デザイン」は多様化している。画面設計もイラストもユーザーインタビューもウェブサイトの装飾もすべてデザイナーの仕事とされる。全部できる人はいないので領域を選んで専門性を深めるか、あるいは全体をバランスよく身につけてオールラウンダーになるか。自分はデザイン系の仕事の中では画面デザインを考えているときが一番好き。
摩擦なしに価値を届けるのがデザイン
Webサービスが届ける価値とは課題解決。「冷蔵庫の食材で作れる献立が知りたい」これが課題。食材の名前を入力する、あるいは庫内をカメラで撮るとそれで作れるレシピを教えてくれる。これが解決策。同じ事象でも人によって課題かどうかは異なる。一人暮らしで賞味期限も気にせず、フードロスが出てもいいと思っている人にとっては食材管理は課題感が小さい。子供に賞味期限切れのものは食べさせたくなく、買った野菜はすべて使い切りたい人にとっては大きな課題。「この課題を解決できるなら毎月500円払えるな」と思う人がいればビジネスになる。解決する課題の総量が多いほど大きな事業になる。
ではデザインとは何か?自分の意見ではデザインは「価値の届け方」。食材を入力するフォームが見えづらいと摩擦がかかって価値は低減する。カメラで撮るボタンの装飾が分かりづらいと機能に気づけない。最近の利用者は説明書を読まない。読まずとも、画面を見るだけでなんとなくできることが分かるよう設計する。そのボタンを押したら何が起きるかを予想させる。解決手段をそれを求める人の手元にピッタリ届ける。
レシピ管理は日常の仕事である。なので毎日見ても目が疲れず、生活に根ざすような色合いが好ましい。これが黒を基調とした高級車のCMのような色使いだと違和感を与えてしまう。逆に高級車のWebサイトではポップなフォントは使ってはいけない。課題をとりまく世界観があり、それを適切に表現してはじめて対象者に受け入れられる。一流ホテルは客室やサービスだけでなく門構えやロビーがしっかりしている。Webサービスにもエントランスがある。
デザインがどれだけ良くても課題がなければヒットはしない。例えばマッチングサービスのTinderのユーザーインタフェースが流行った頃がある。カードが順番に出てきて気に入れば右へ、スキップしたければ左へスワイプするというもので、指一本で使うスマホの特性にあったデザインとして話題になった。色々なサービスがこのTinder風のアクションを取り入れたが今はほとんど見ない。まず解決する課題、次にデザイン。この順番を間違えてはいけない。
「楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考」を読んだ
「楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考」を読んだ。最近ハマっている楠木さんの著作。楠木さんの仕事は日々忙しくする経営者の代わりに本質を考える「思考代行業」。会社や事業についてその本質を考える。とても肉厚だったので気になったところをメモしておきたい。
まずはイノベーションと連続性について。IT界隈ではよく「イノベーションを起こそう!」と言われるが、イノベーションの本質を理解している人は少ない。イノベーションは改善ではなく革新。非連続な変化に挑まなければならない。なぜイノベーションが難しいのか?それは人々が非連続な変化を拒むから。セグウェイのようなまるで新しいデバイスが出てきても、日常生活の延長で必要ないので流行らない。SONYのウォークマンはイノベーション。それは音楽を聴くという日常の延長にあったから。ユーザーの変化は連続的、しかしその体験は非連続なものがイノベーション。飛び道具に手を出しても長期で上手く行くことはない。
次に抽象と具体について。現実の問題はすべて具体的に現れる。ひとつひとつ目の前に対応していくしかない。しかしそれを個別の事象として理解していると毎回バタバタすることになりノウハウが活かせない。経験や知識を他のケースでも使えるように抽象化して記憶する。この具体と抽象のバランスがセンスに出る。
仕事をしていると抽象と具体の狭間で苦しむことが多い。例えば会議で抽象的に話し過ぎて空中戦になってしまったり、逆に具体的に話しすぎて汎用性を失ったり。このバランスが上手い人にたまに出会うが、そういう人は知識を構造化して整理しているように思う。近しい概念をまとめたり、階層関係を整理して理解する。それができていると相手が理解しやすいように別の表現で例えたり、箇条書きなどを使って読みやすい文章をまとめられる。
最後にお金儲けについて。お金を稼ぐことを目的にするのは邪な眼で見られることがあるが、楠木さんの意見としては「長期利益」こそが目指すところ。アフリカの貧困を撲滅するにせよ、まずはその会社が持続的に儲からないと話にならない。長く利益を出せる事業をする、それで稼いだお金で税金を納める。こういう意見だそう。このあたりは会社経営をしたことはないのでいまいちピンと来ず。サラリーマン目線としては共感できるビジョンを持つ会社で働きたい。ビジョンの実現のために利益をあげていくことが必要というのは分かる。